刻の守護者

あまつ空なる、君を恋ふ(4)

 浅瀬で泡を噴いて気を失っていた信頼は捕らえられ、処刑された。
 一方、頼朝は、重盛の奔走もあって、無事、死刑を逃れた。が、戦の責を負い、伊豆への配流が決まった。
 彼は、護送される日まで、重盛預かりとなり、六波羅の一所に軟禁されることとなった。
 ……六条河原の怨霊騒ぎから数日。
 やっと身辺が落ち着いた頼朝は、まだ日も明けない時間に、あまねの寝所を訪れていた。
 もちろん、預かりの身である頼朝が自由に六波羅を動き回れるはずもない。こうして部屋を出ることができたのも、重盛の助力のおかげだった。
「あまね……」
 監視として側に従っていた重盛を外で待たせて、頼朝はあまねの枕元に座った。
 当然のことながら、あまねはまだ寝ている。
 頼朝は腕を組むと、目を閉じた。
 昨晩、必死で練習した台詞を口中で転がす。
 と、余りにも寝息が静かすぎるあまねに、突然、不安を感じて、彼はそろりと瞼を持ち上げた。
 顔を覗き込み、鼻に手を当てる。
 気息正しい浅い寝息が触れて、頼朝は胸を撫で下ろした。
 余程疲れていたのだろう、あまねの目の下にはくまができていた。
 頼朝が顔を寄せる気配にも全く気付くこともなく、寝こけている。
 半開きの唇からは、涎が見える始末だった。
 フッと吹きだした頼朝は、口元を拭ってやる。その手が、不意に止まった。
 あまねは目を覚まさない。
 頼朝は、引き寄せられるように顔を近づけた。――――と。
 パチリ、とあまねは瞼を持ち上げた。
 頼朝が凍り付く。
 ややあってから、彼はぶっきらぼうに口を開いた。
「………よう」
「………………パパ?」
「はあ!?」
「きゃあ!!」
 思わぬ呼ばれように、素っ頓狂な声が飛び出す。
 それに、あまねが驚いて身を起こしたから、ゴチンッ、と二人の額と額がぶつかった。
「――――――いったあ」
「……どっ、どうみたら、オレがてめぇの親父に見えんだよ、このタコが!」
 額をさすりながら、頼朝が吠える。
 あまねは痛みに身を丸くして、戸惑った顔をした。
「なーんだ、頼朝かぁ。びっくりしたあ」
「んな、んな、んな、なぁンだ、とは、何だよ!?」
「え? ど、どうしたの? 何で怒るの? え、ご、ごめんね?」
 あまねが、顔を真っ赤にする頼朝を気遣う。頼朝は無意味に唇を開閉させた。やがて、コホン、と咳払いすると、言った。
「あの、よ。……お前、は――――――」
「なあに?」
「――――いや、いい。またでいい!」
 何事だと目をぱちくりさせるあまねから、視線を逸らすと、頼朝は膝を打って立ち上がった。
「酷い顔だぞ。よく休めよ!」
 そう、気遣いの言葉を何やら暴言のように吐き捨てて、彼は風を切って出て行ってしまう。
「な、何なのよ……あれ」
 残されたあまねは、ぽかんとした……


「接吻の一つはしたんやろな」
 出て来て早々、頼朝の肩をのっしと抱いて、重盛が茶々を入れた。
 が、頼朝は黙ったまま、丁寧にその腕から逃れると、自室に向かって歩み始めた。
 その背に、少しだけ寂しげな顔をして、重盛が続く。
「重盛殿。室に、墨と紙を届けてくれませんか。あまねに、歌を……送りたいので」
 軟禁部屋に大人しく進み入った頼朝は、立ち去ろうとする重盛に、頭を下げた。
 声音は、鉱石のように固く無機質だったが、重盛は喜色を浮かべると頷いた。
「え、ええよ、ええよ。持ってきちゃる」
「かたじけない」
「……ああ、良かった。お二人とも、ご一緒だったんですね」
 と、直愛がやってきたのはその時だった。
「おお。直愛」
 重盛が笑顔を弾ませる。頼朝助命に奔走する重盛を、これでもかと支え続けた直愛に、彼は大きな信頼を寄せていた。
「何の用や? こんな朝早く――――」
 重盛が近寄る。
 ――――バチン! と音が立ち、彼は声もなく崩れ落ちた。
 直愛の、重盛の面に翳した手が、淡く光の残照をまとっている。
 頼朝は、ぎょっとした。
「――――――お前、何の真似だ?」
 室の奥に退きながら、問う。
 直愛は、重盛を壁に凭れかけさせると、いつもと変わらない、軽薄にも思われるような愛嬌のある笑顔を浮かべると、頼朝に迫った。
 重盛に翳した右手を、今度は頼朝に向けて。
「決まりなんです。俺は、貴方がたの、一連の記憶を消さなければならない」
「き、おく……?」
 頼朝は聞き慣れない単語に眉を顰めた。
 直愛は噛んで含めるように、付け加えた。
「ええ。俺の事も、あまねちゃんの事も……そして、貴方の彼女への想いも、全て、忘れて貰います」
 あまねが未来から来たと知っている頼朝である。
 その必要性を理解するのに、時間はかからなかった。
「…………今、すぐか」
「はい」
 呻くような問いに、直愛は頷いた。
 残酷なまでに。
 穏やかに。