刻の守護者

あまつ空なる、君を恋ふ(3)【改稿】10/16追記

「…………あまねちゃん」
 あらかた、避難も終えた頃だった。
 不意に呼び止められて振り返れば、清盛に付き添っていた直愛が、いつの間にか、すぐ側にいた。
「ちょっと距離を取ろう」
 そう、彼は、唇を寄せて耳打ちした。
 あまねは、はっとして頼朝を振り返った。
「頼朝……?」
 彼は、予想以上に怨霊の数を減らしていた。大健闘である。けれど。
「…………頼朝」
 狂ったように、怨霊を追い掛け、喰らいつく姿は、まるで――――
「そうだ。見てご覧。彼は吸収を止めない――――止めることができない。もう、自我がないんだ」
「……うそ」
 直愛の言葉に、あまねは目を見開いた。
 闇の河原に、白い獣が蠢く。
 それは本物の獣のように、獲物と見るや、いたぶり、力を奪い、すでに事切れても執拗に牙を振るっていた。
「いつ、こっちに来るか分からない。とりあえず彼の周りに結界を張って、抑えつけて――――」
 頼朝の瞳が、瀕死の重傷を負いながら、這い逃げる信頼を捉えた。
 川に身を潜めていれば、災難から免れるとでも思ったのだろうか。一心不乱に冷たい川の水をかいて、進む信頼に向かって、頼朝がゆらり、と進む。
 あまねは――――駆け出していた。
「頼朝、だめだよ……」
 犬神に飲まれた状態で――彼の意思を無視して、誰かを傷つけさせてはいけない――――頼朝は、そんな自分を許せない。
 あまねは、ブレスレットをポケットから取り出した。ひびを確認してから、意を決して、腕につける。
「あまねちゃん?」
 直愛は、あまねが手にしたものを見て、目を見開いた。
「あまねちゃん?! それを付けてたら、君は普通の女の子と変わらないんだぞ!?」
 直愛の指摘が示すことを、あまねは頭から叩き出した。
 ただでは済まない――そんなことは百も承知だ。
(約束したんだ。守るって)
 あまねは、駆けた。
(一緒に助かる方法を、考えるって)
 獣は、一途に獲物を追った。
 瀕死の身体を濡らして、信頼が恐怖に打ち震える。
 信頼は、足を縺れさせたのだろうか、音を立てて水中に身体を沈めた。
 水飛沫が立つ。
 背後を振り返った彼は、迫り来る恐怖に顔を歪めた。
(私は、守りたい。彼の――――心も)
 あまねは、躊躇いなく、冬の鴨川に走り入った。
 バシャバシャと、赤と黒と、時折、輝く氷の粒を含んだ水飛沫が上がる。
 川底の石に蹌踉けながら、まとわりつく水の流れを蹴りながら、あまねは先へ先へ進んだ。
 獣が、獲物の元に辿り着く。
 信頼は、浅瀬に尻持ちをついたまま、唖然としてその時を待っていた。
「頼朝……」
 あまねは、力強く両腕を伸ばし、底を蹴る。
「頼朝ッ! だめええええええええええ!」
 声と供に、今にも襲いかかろうとする頼朝に、飛びついた――――――

 ――――――ドンッ

 轟音が、大地を揺るがした。
 白熱した光が、天を貫いた。
 漂う闇は一瞬のうちに霧散した。
 ……訪れたのは、完全なる無音の世界。
 薄く、紅の糸を交えながら、鴨川の水が音もなく流れ始める。
 頼朝は……余りの冷たさに身体を震わせた。
「………………い、ってぇ」
 浅瀬に、ぺたりと座り込んでいた彼は、慌てて立ち上がった。
 辺りを見渡せば、戦後のような死屍累々の河原と、息を詰めて、こちらを見つめてくる多くの人の姿が目に飛び込んできた。
 思いだしたように、全身が軋んだ。
 痺れのような痛みに顔を顰めて、自身を両手で抱けば……そこでやっと、自分が犬型ではなく、人型になっているのに気付く。
「い、ったい……何が」
 戸惑う彼は、ふいに、足元の重みに目を落とした。
 左半身を下にして、あまねが浅瀬に横たわっていた。
「あまね……?」
 川は彼女にぶつかって割れて、流れていく。
 異国の服はどこもすり切れ、露出した肌からは血が滲んでいた。
「お、おい。あまね」
 頼朝は、彼女の身体を川から引き上げると、河原で跪き、抱いた。
 肩に手を置き、揺する。重ねて呼びかける。
 揺すった拍子に、しゃり、と落ちるものがあった。見れば、辛うじてあまねの何処かに引っかかっていたブレスレットが、ついに落ちた音だった。
「あまね。おい。…………嘘だろ、お前、まさか」
 頼朝は、ぎこちない動きで改めて辺りを見渡した。
 あれだけいた、怨霊がいない。
 犬化していた、自身の身体が人型に変じている。
 そして。今さっきまであまねの腕にまきついていただろう、腕輪――――頼朝は、思い至った考えに、口の端を震わせた。
「おい……おい! おい!!」
 掠れた声が唇を割って出る。
「何で、何で、お前、そんな馬鹿なことするんだよ。殺してくれって言ったじゃねーか。そんな風にならないように、って、これがお前の答えかよ!……オレが、こんなんで喜ぶとでも思ってんのかよ!!」
 彼は強く、あまねを揺すった。
「おい! あまね!! 目を開けろッ!」
 きつく目を閉じ、頼朝が叫ぶ。
「あまねえッ!!」

「……は、はい」

 と、身が引きちぎれんばかりの呼びかけに、戸惑ったような声が答えた。
「あァ…………?」
 頼朝は恐る恐るあまねを見た。あまねは、右手を挙げて、肩を竦めると言った。
「……い、生きて、ます」
 頼朝は、ぽかんと口を開けた。
 続いてカッと、胸の内で暴発した感情が沸き立ち、足先から駆け上ると……脳天を突き抜けて、いずこかへと去ってしまう。
「………………ばかやろ」
 彼は……魂が抜けるような、長い、長い溜息を吐いた。
「ばっ、かやろ……お前、驚かせやがって」
 あまねの髪をぐちゃぐちゃとかきまぜる。
「本当、お前、何なんだよ。ちくしょう。いつもいつも斜め上の行動しやがって……心臓、いくつあっても足りねーっつーの」
 きょとんとするあまねの顔を見つめると、頼朝は顔をくしゃりとした。
「ばっかやろお…………」
それから、そんな表情を隠さんとばかりに、あまねの顔を肌の露わな胸に押しつけると、苛立たしげに呟き、鼻を啜った。
 ……触れあった部分は、火傷するくらいに、熱かった。

     * * *

「――――――木津あまね、感情面にやや心配はあるも極めて優秀、と。さすが暴走除霊車(<ゴーストブラッシャー)。将来が楽しみだな」
 あまねが無事なのを遠目から確認してから、直愛は吹っ飛ばされ、河原の片隅で意識を失っていた、頼朝に憑いていた「犬神」に近付いた。それは、小さな白い犬だった。
「やあ。平家の怨霊よ」
 声をかけると、赤い目がぱっちりと開き、犬はしゃがみこんだ直愛を見た。
 続いて、逆毛を立てて、威嚇を始める。
「随分、引っかき回してくれたけど……もう、遊びはお終いだ。ゆっくり眠ろうね」
 直愛は、そっとその頭に右手を翳すと、呪を口ずさんだ。
「天切る、地切る、八方切る、天に八違、地に十の文字、秘音、一も十々、二も十々、三も十々、四も十々――」
 そして、左手で印を切った。
「ふっ切って放つ、さんぴらり」
 ジュッと音を立てて、犬神が消える。
 直愛は、フッと短い息を吐くと、立ち上がり、両手を天へと突きだすように伸びをした。
 そして、懐から黒塗りの手帳を取り出し中を覗き込む。
 マーブル状になっていた頁に、意味を成さない文字が次々浮き上がり……やがて、それらはきちんと整列して、歴史を紡いだ。
「時の流れは無事、未来に繋がった」
 直愛は、パタリと手帳を閉めた。
「これにて一件落着、っと」
 そう言って、彼は悠然と笑み、片目を閉じた。