刻の守護者

あまつ空なる、君を恋ふ(2)

 氷を含んだ鴨川は、陽光を照り返し、眩いほどだった。
 処刑場――六条河原には、大勢の人が集まっていた。
 犬神憑きの、源氏嫡男が斬られる噂に、京中の人々が押しかけたのだ。それは通りに店が出るほどの混雑ぶりだった。
 胡床に座った清盛を中心に、その右に重盛、左に藤原信頼が立つ。
 その背後には、平氏の郎党が控えていた。
 多くの、好奇の視線に晒されながら、頼朝は引っ立てられ、やって来た。
 彼は怯えるでもなく、清盛の隣で悠然と立つ信頼を睨め付ける。
 信頼は薄ら笑いを浮かべて、見返した。――信西が死に、源氏を滅ぼし、縁戚の平氏が台頭、その武力を背景に、彼は上皇様のもと、天下を取ったのだ。
「頼朝」
 跪かされた頼朝のもとに、つ、と重盛が近寄った。
 しゃがんで、目線を合わせると口を開いた。
「生きて捕らえられたのは、お前だけや、頼朝」
 頼朝は答えない。重盛は苦々しげに、一言、問うた。
「…………悪源太は、死んだんか」
 頼朝は無言を貫き通す。
 それの意味するところを正確に理解し、重盛は唇を噛むと、やがて、悲しみを押しだすように、鼻から震える息を吐いた。
「卒塔婆くらい、立てい」
「見せもんにされて、たまるかよ」
「ほんまにな。ようやったわ」
 くしゃ、と重盛は頼朝の髪を撫でた。
 それから、ホッと息を吐くと、意を決するように立ち上がった。清盛を振り返る。
「親父殿」
 重盛の凜とした声が父を呼んだ。
 清盛が眉根を寄せる。
「最後にもう一遍、言わせて貰ぅて、ええですか」
 有無を言わせぬ問いに、「清盛殿」と、不機嫌そうな声をあげたのは信頼だ。
 けれど、清盛はそれを取り合わず、「許す」と一言告げた。
「おーきに」
 重盛は、大げさな素振りで頭を下げると、信頼を見た。
 信頼は、思わず、と言うように、身を引いた。
「――――さて、信頼殿。俺が、何を言おうとしとんのか、おのれは分かってるやろな」
「この期に及んで何を……今日は頼朝の処刑であろうに」
「その前に、片付けたいことがあんねん」
「……今でなくとも良かろう」
「阿呆。これには仰山の見物人が必要なんや」
 重盛はニヤリと笑むと、観衆を見回し、声を張り上げた。
「耳かっぽじって聞けや、皆の衆! 帝を弑さんと呪詛してたんは、実はそこの――――信頼や!!」
 どよめきが起こる。
 すかさず、信頼は反論した。
「たばかりだ!! 何の証拠があって――――」
「そンなん、おのれの館ァ、探せばすぐに分かることやろが!!」
「は……は、ははは! 良い。なら、好きなだけ掘り返せ、愚か者が! 呪具の一つも出てきやせんわ!」
「――なして、呪具が土ン中やて思うた?」
 重盛が静かに問う。信頼は言葉を飲み込んだ。
「え? 俺は、探す言うたんよ。誰も、庭ぁ掘り返すとは言うとらんで。おのれは、何でそう思った?」
「じゅ、呪詛と言うものは、埋めるものだと……」
「他にも仰山あるのに、何でそれを選ぶ」
「それしか知らんのだ」
「嘘こけや」重盛は鼻で笑った。
「そこらのガキだって知っとるわ。貴船神社で刻参りとか、愛宕山で天狗の目に杭打ったりとか。土に埋めるゆう呪詛なんぞ、知ってる方が少ないっちゅーねん」
「い、い、言いがかりもたいがいにしろ!!」
 信頼は叫ぶと、清盛に向き直った。
「清盛殿。あなたのご子息は気でも触れたか。このような公の場で、私を侮辱するような言動――――上皇様が、お許しになりませんぞ!」
「重盛」と、清盛が重い口を開く。
「……それで終わりか?」
「あい」
「弱いな。信頼殿の言う通り、それでは単なる言いがかりに過ぎぬ」
「親父殿! や、やけど」
 なお、言い募ろうとする重盛を、清盛は叱責した。
「さっさと、斬れい、重盛。どちらにせよ、犬憑きは処分するに限る。この京のためだ」
「親父殿……」
 唇を噛みしめる重盛に、殺される当の頼朝は、つまらなそうに首を差し出した。
「やれよ」
「やけど。やけど……っ」
「どーせ、今更、申し開きが通ったって……親父も、朝長も……義平も、戻っちゃこねえ」
 額に手やり、くしゃりと前髪を潰す重盛に、頼朝は呟いた。
 重盛は、項垂れる頼朝を凝視した。
 ゴクリ、と咽を鳴らし、父を振り仰ぐ。
 それから、彼は震える手を、腰に刷いた刀に伸ばした。
 その時だった。
「証拠なら、あります!!」
 凜とした声が河原に響いた。
 人垣が、波が引くように割れる。
 その中を栗毛の馬が豪速で走りきた。
 馬上には、異国の衣服をまとった、少女――――あまねは、馬が飛び出す勢いで、馬から降りた。
「あまね……」
 頼朝が、息を飲む。
 あまねは、状況を飲み込めず、目を白黒させる信頼の前に進み出ると、ずい、と布にくるまれた塊を差し出した。
 剥けば、現れたのは、二つの小犬の髑髏。
「これは……信頼さん、あなたの所から持ち出したものです」
 あまねは言った。
「そ、そんなもの、知らぬ!!」
 信頼は裏返った声をあげる。あまねは頷いた。
「はい。それを今から、はっきりさせましょう」
「は……?」
 あまねは、そっと髑髏を胸元に引き寄せた。
「呪詛と言うものは、呪具を壊すことによって、呪った者へ呪いを返すと言います。つまり、これが壊れて、あなたが苦しみ出せば、これは、あなたのものだってことになるんです」
 信頼が息を飲む。
 あまねは、見せつけるように、髑髏を彼の目の高さまで持ち上げた。
「や、やめろ」
 取り戻そうと、信頼の手が髑髏を求めた。あまねは、するり、とそれを交わす、。
「あなたが、本当に呪っていないと言うなら、恐れる必要はありません」
 そして、彼女は躊躇なく――――二つを、打ち付けた。
 ボロリ、と、幼い犬の骨は、軽々と崩れた。
「ひあっ…………」
 信頼が頭を抱える。
 沈黙が支配した。
 寒風が川面を揺らす。
 震える信頼は、けれど、それ以上苦しむことはなかった。
「これが、証拠です」
 あまねは、信頼を哀しげに見てから、清盛に向き直った。
 信頼は、何ともない自身を見下ろし、謀られたのだと知ると、わなわな震え出した。
「ちなみに、信頼さん。これは本当にあなたの家にあったものなんですよ」
 言って、あまねは、直愛の言葉を心の内で反芻すると、顔を紙のように白くした信頼を見下ろした。
「呪詛は基本的に、呪われた相手が死ぬか、呪った相手が死ぬか、どちらかしかありません。けれど、帝は生きていて、そして、あなたも生きている。――どういうことだと思いますか」
 頼朝が目を見開いた。
 あまねは、その視線に気付いて、僅かに目を細めて頷いた。
「その骨に憑いていた犬の魂は、あの夜――信西さんがあなたのお宅を襲撃した際、頼朝が食べちゃったんです。だから、あなたの呪詛はもう、この世にない。バレるかも、だなんて恐れる必要はなかったんです」
 信頼は魂が抜けたように、へなへなと膝から崩れ落ちた。その腕を掴んで、重盛が無理矢理立たせる。
「…………清盛殿。私がいなければ、上皇は」
「安心されよ、信頼殿。これからは、今上陛下の御代だ」
「なっ……」
 信頼は紫色になった唇を戦慄かせた。
「き、貴殿、すでに経宗と――――――!?」
 清盛は口の端を持ち上げるだけで応える。
「そ、そんな……」
 信頼は自分が全てを失ったことを悟った。
 顔を歪め、音が立つほど身体を震わせると、項垂れた。
 すすり泣く。
 それは、やがて、低い笑いに取って代られた。
「ひひひ」
 乱心したか、と重盛が憐れみの目を向けると、彼は唐突に暴れ始めた。
 思わぬことに、重盛は戒めを解いてしまう。
 振り払った勢いで、信頼は尻持ちをついた。
 ドッと観衆から笑いが起こる。
 それに、信頼は怒りに顔を赤黒く染めて、腰から剣を抜いた。
「ええい! 皆殺しじゃ! 皆殺しじゃ!!」
 わめき立てると、頼りない剣筋で刀を振り回す。
 ……誰の目にも、彼のあがきは無駄に思われた。
 多勢に無勢、それも、あれほど引けた下半身では、まともに刃を振ることもできまい、と誰もが思った。
「ここを、何処だと思うてか。なあ、清盛!」
 信頼が、耳まで口の端を伸ばして笑った。
 言葉の意味を取りかねて、みなが訝しげにする。
 彼は、周りを見渡すと哄笑した。
「ここは処刑場、六条河原であるぞ!!」
 そうして、ふらふらと笑いを誘うような引け腰で、彼は――――縛られて動けない頼朝に向き直った。
 咄嗟に、あまねは二人の間に割って入った。
「何をする気ですか」
「ええい、退け、小娘!!」
 無理矢理、胸ぐらを掴まれて押しやられる。「頼と――――――」
 地に伏したあまねが見た先で、信頼が息する暇も与えずに、頼朝に斬り付けた。
 ……状況を理解した時には、事は成ってしまっていた。
「…………て、ンめ」
 頼朝が引きつった声を出す。
 傷はさほど深くはなさそうだった。けれど、確実に、刃は彼の肉を裂き、鮮血を溢れさせたのだ。
「だーから、犬神憑きなど、さっさと殺せと申したのだっ!!」
 信頼は辺りを見渡すと、だらり、と剣を持った手を落とし、腹から声を出した。
「あはっ、はははは! はははははははははははッ!! は―――――――――」
「――――――耳障りや」
 重盛の刃が、信頼の笑い声を断ち切った。
 ドサリ、と彼の身体は地に沈んだ。そうして、流れ出た、鮮血が黒く泡立ち始める。
 俄に夜が訪れた。厚い雲が空を覆い、冷たい風が、川面を細波立たせる。

     オオオオオ……
     オオオオオオオオ……

 地獄の底の風を思わせる、低い呻き。足元を這い回る、得体の知れぬ恐怖。
「何や。一体、何が起こって……――」
 呆然として立ち尽くす、重盛は見た。人の形をした、何やら黒い物が、次から次へと河原から生え出るのを。
 観衆から、悲鳴があがった。
 黒い靄は、一糸乱れぬ様子で、頼朝を目指して歩いてきた。
 前に立ちはだかる者には目もくれず、無差別に命を奪って行進してくる。
 重盛は打たれたように、剣を抜き放った。
 清盛が、直愛の手によって逃げるのを横目に捉えると、躊躇せず見物人たちの元に走る。
「やたらに触れたらあかん! 死ぬで!!」
 ――場は、逃げ惑う人たちで大混乱に陥った。
「頼朝!」
 あまねは膝で這い、頼朝に近付いた。
 続いて、彼を求めてやってくる、怨霊を見渡し、その多さに息を飲む。
 しかし、彼女はキッと前方を睨め付けると、頼朝の腕を掴み、言った。
「逃げよう!」
 数が多すぎた。この場に頼朝がいる限り、怨霊たちは現れ続けてしまう。
 河原が吸った、命の数が尽きるまで、怨霊は頼朝を襲うだろう。
 あまねは、頼朝の腕を戒める縄を解きにかかる。
「……逃げる、っつーのは賛成だ。どっちにしろ、オレは此処から離れなけりゃならねぇ」
 言って、頼朝は、自由になった手を、そっとあまねの手に重ねた。
「だが、逃げるのは他の奴らが先だ」
 そして、その手を退けた。
「…………だ、だけど」
「何とか、人のいない方へ向かって引きつける。あらかた喰ったら、そん時こそ、逃げる」
「だ、駄目だよ。こんな数、吸収したら――」
「オレは歴史に名を残す、すげー奴なんだろ?」
 あまねの不安を遮って、彼は尖った八重歯を覗かせ笑った。
「大丈夫だ。オレは、犬神じゃねぇ。オレは――――――源頼朝だ」
「頼朝――――――」
 彼は右腕に巻き付けていたブレスレットを取り外した。
 …………白い、獣が――現れる。
 それは咆哮をあげて、今にも人に襲いかかろうとする怨霊に向き直った。地を蹴る。飛ぶようにして、彼は黒い靄に襲いかかる……
「頼朝……」
 束の間、その勇姿を見つめていたあまねも、ブレスレットをポケットに突っ込んで、立ち上がると、逃げ惑う人々のもとへと向かった。
 安全な道を確保し、誘導する。
 時折、目的を忘れて襲いかかってくる怨霊を、あまねは力を発揮して、問答無用でぶっ飛ばした。