刻の守護者

思い出は、朝やけに滲んで(4)

「あまね。おい、あまね。起きろ」
 いつの間にやら寝入っていたあまねは、頼朝の張り詰めた声に揺り起こされた。
「ん……」
 ぼんやりと瞼を持ち上げれば、壁にもたれたまま、頼朝はぎゅっとあまねを抱きしめた。
 戸の外へ、厳しげな眼差しを投げている様子に、あまねは状況を把握した。
 ――――残党狩りが追いついたのだ。
 頼朝は、そっとあまねを解放すると立ち上がった。
 鵜飼いの、怯えた声が耳に飛び込んでくる。
「お、お待ちくだせえ。奥には誰も……」
「右兵衛佐(うひょうえのすけ)・頼朝がここにいるだろう? 隠し立てすれば、ただじゃおかんぞ!!」
「ひいっ」
 ドンッと鈍い音が立つ。
 頼朝は、蹴り破られた戸に表情も変えず、闖入者を迎えた。
「乱暴は寄せ。オレが、源義朝が嫡男、頼朝だ」
 そうしてさもつまらなそうに、腰に刷いていた剣を床に投げた。降参の意を示したのだ。
 鵜飼いは、ひいひい声を上げて、あまねのもとへ這いずり寄った。
 残党狩りの兵は、生け捕りにしろと命じられていたのだろう、剣を拾い上げると、頼朝を取り囲んだ。
 と、鵜飼いの後ろにいる、あまねに気付いた。
 頼朝は静かに言った。
「女はここの鵜飼いの娘だ。一晩買っただけの無関係。手は出すな」
「義朝殿には、お子が多い。姉でないと、我々では判断がつかぬ」
 まとめ役だろう男が言うと、数人の男が、あまねの腕をひねり上げた。
「いっ……」
「やめろ!! あまねに触るな!!」
 制止に耳を傾けるものはない。
「………………オレは、大人しく捕まるつもりだったんだぜ?」
 ボソリ、と、頼朝は、自嘲とも思える薄笑いを浮かべて、短刀を抜き放つと、躊躇いなく自身の腕を切り裂いた。
 ボタタタッと、板敷に赤い円が幾つも弾ける。
 兵らが、訝しげにする……と、途端に外が騒がしくなった。耳を背けたくなる、断末魔の声が闇夜を切り裂く。
「な、何だ?」
 外の見張りだろう兵の豹変に戸惑っていた男たちは、ついに辺りを取り囲む邪悪な気配に、気付いた。
「今日は、新月だなぁ」
 新月――この世ならざる者たちが、活き活きと跳梁跋扈する、闇の夜。
 彼らは、極上の甘い血に誘われ、やってくる……。
「き、貴様、な……なな、な、何を」
 壁をすり抜け、黒い靄が顔を覗かせた。
「忘れてンのか? オレは犬神憑きだ。んでもって、その女が……身を挺して、抑えてるんだよ」
 パクリ、と黒い靄は、近くにいた男の顔を食べた。
 頭部を失った男がぶらりと揺れる。
 一瞬の間が落ちて。
 ――――恐怖が、爆発した。
「こ、こここ、ここ殺せ! 殺せ!! 清盛様には、事情をお話して……ぎゃあああああ!!」
 目を背けたあまねの視界で、板床が赤に染まる。
 あまねの姿に、わっと襲いかかってきた怨霊たちがギクリと身を震わせる。
 頼朝は、腰を抜かす鵜飼いを引きずると、玄関から外に出た。
 兵らはすでに逃げた後だった。
 頼朝は鵜飼いに謝辞と謝罪を同時に述べると、「生活の足しにしてくれ」と、義平の遺品をその手に握らせた。
「行くぞ」
 頼朝は、ぐい、と力強くあまねの腕を引いて歩いた。
 人目を避けるようにして、二人は闇に溶けた。
 鬼火に照らされる畦道を進み、人里を後にする。
 あまねは、頼朝の赤く傷を負った腕を見て、眉根を寄せた。
「どうして、こんな傷負ってまで……」
「お前はオレを、怨霊から守ってくれる。それと同じだ。オレは、お前を矢と刃から――人間から守る」
 簡素な答えが返ってくる。
 暫く、沈黙の中、二人は歩いた。
 新月の闇のもと、蛍火のように鬼火が浮き、儚いその光が、紙吹雪のような、軽い粉雪を照らしてた。音もない夜を、二人の足音が跡を刻む。
「なぁ……なんで、お前はオレを守ろうとする?」
 不意に、頼朝は問うた。
 舌が縺れ、あまねは言葉に詰まった。
「あなたの存在が……」
 あまねは、頬に張り付いた髪を手で摘み避けた。
 それから、胸のわだかまりを飲み下し、口を開く。
「あなたの存在が、大切だから。あなたはここで死んではいけない人だから」
 真っ直ぐ、前を睨め付け進む頼朝の横顔を、あまねは見つめた。
 掴まれた腕が、火傷しそうなほどに、熱い……。
「お前のいる未来に、オレの存在は残ってるのか」
「うん」
「……そうか」
 頼朝は、味わうように頷いた。
 束の間、彼は瞑目し、「そうか」と繰り返す。やがて、グッと力強く、顔をあげた。
 あまねは、掴まれた腕をそっと外した。そして、彼の手に、自身の手を重ねた。
「あまね……?」
 びっくりする頼朝に、あまねは、おずおずと言った。
「…………ちょっと、泣きたい気持ち……と、言うか」
 あまねは、俯いた。黙り込む。
 頼朝は何も言わず、ぎゅっと力強く手を握り返してくれた。
 二人は、寄り添うようにして、雪の道を歩いた。あまねは……この穏やかな時がいつまでも続けば良いと、願わずにはいられなかった。


 二日後、青墓に辿りつくことなく、二人は捕縛された。
 都への護送の途上、義朝が討たれ、首は獄門に晒されたと聞き知るも、もう二人には流す涙も残っていなかった。

( 第七章 了 )