刻の守護者

止められぬ、別れ(3)

 六波羅を出ると、源氏一行はけぶる京の町をひた走り、北東を目指した。
 比叡山延暦寺の西麓を越え、滋賀県に抜けるためである。
「頼朝。犬の姿では、無茶をしすぎる。お前、人型になって私の馬に乗れ」
 ザクザクと、馬が雪を踏みしめる音に混じって、朝長が言った。
 義平の横を走っていた頼朝は鼻に皺を寄せた。
「一人で行ける」
「怪我が悪化したらどうする。それこそ、足手まといだぞ」
 そう言われてしまえば、ぐうの音も出ない。
 頼朝は、大人しくあまねにブレスレットを付けて貰うと、素早く着替え、敢えて、義平の馬に同乗した。
 空いた馬に一人で乗ろうとしたあまねを、朝長が呼んだ。
 可愛げのない弟への、せめてもの嫌がらせらしい。
 朝長らしからぬ振舞いに、思わず、義平が吹きだす。
 頼朝が兄らに噛みつく……あまねは、朝長に何か変わったところがないかと探し、ホッと胸を撫で下ろした。怪我をしている様子はなかった。
 一行は、合戦に参じようとする平家方の兵を装い、進んだ。
 強風は段々と落ち着き、やがて、晴れた空から、ちらほらと粉雪が舞い落ち始めた。
 ……あまねは、不思議な思いで一同を眺めた。
 都での戦を聞きつけ、諸国から集まる兵のため、源氏一行は正規の道を行くわけにいかなかった。
 夜の闇に紛れ、木々を分け入り進む行程は、お世辞にも楽だなどとは言えない。
 叡山を越えるまでに、二度、僧兵らの襲撃を受け、はぐれてしまった仲間がたくさんいた。亡くなった者も、もちろん、いた。……今、義朝を先頭に、供に行動する者は数えるばかりしかいない。
 それにも関わらず、彼らは、不思議と温かかった。
 その横顔には疲労が色濃く滲み、悲壮感が漂い、にも関わらず、温かい……死に慣れてしまったような心の麻痺ではなく――大将義朝ですら、部下の死に、声を上げて泣く姿をあまねは見た――穏やかに、全てを受け入れているかのようだった。
「あら。寝ちゃってる」
 滋賀県に至り、愛知川を渡った頃だった。
 頼朝は、義平に背を預けると眠っていた。
 非常時にけしからん、と言う者はいなかった。あまねもよく忘れかけるが、彼は一三歳――弟の晟と同じ年なのである。加えて、怪我もしていた。いくら犬神憑きだと言っても、回復するにはそれなりに力がかかる。
「まんざらでもないだろう、義平」
 馬を並べて覗き込んだ朝長は、口元をほころばせた。
「母御のようだ」
「何処に鎧を纏う母親がいるってのよ」
 肩を揺すって笑う弟を、義平は半眼で見遣った。
 それから、フッと吐息を吐き出すと、手綱を持つ手と逆の手で、頼朝の髪を撫でた。
 その義平を見て、朝長が言う。
「母御のつもりがないならば、髪を短く切っても良かろうに」
「え……」と目を丸くするあまねに、義平は悪戯っ子のように目を細めた。そうして、ぼそりと言った。
「あたしねぇ、この子のこと、嫌いだったの。――ううん、憎んでた」
「おいおい、義平……」
「良いのよ。だって、今はもう違うもの」
 朝長の指摘に首を振って、義平は続けた。
「あたしの母は遊女なの。おかげ様で、あたし、源氏の長男だけど嫡男扱いはされてないわ。今だって、無冠なのよ」
 彼は過去に思いを馳せるように、目線を遠くへ投げた。
「お父様に仕える人たちは、みんな良い人だったけど……ま、時々さ。いるわけよ。母の身分がーとか、馬鹿にしてくる奴。で、私は酷く惨めになるわけ。同じ父の息子だって言うのに、どうしてあたしだけ、ってさ」
 言って、彼はあまねを見た。
「頼朝が生まれた時、あたしは六歳だった。頼朝のお母様は身分が高くてね。出産の時は、そりゃあ大騒ぎだったわ。お世継ぎの誕生だ、って。だけど、生まれた子供は――――白い、犬だった」
 義平は何も言わなかったけれど、その打ち沈んだ声音は、その時の周りの反応をまざまざと語っていた。
「頼朝の母が何故亡くなったか、幼かったあたしは、本当にね、詳しくは知らないのよ。産褥の経過が悪かったのか、犬神の最初の犠牲になったのか」
 それとも、犬を産んだことを恥じて自ら命を絶ったか。
「でも……とにかく、頼朝は生まれた時から一人になってしまったの。ああ、お父様は彼を慈しんでいたけど、ほら、忙しい方だから、なかなか邸には帰ってこなかったし……あたしはね、そんな頼朝に優越感を感じてた。ざまぁみろって思った。――この子は、何も悪くないのにね」
 義平は、そっと弟の頬に薄く積もった粉雪を、指で祓い落とした。そして語った。
 ある時、頼朝が庭の隅で泣いていたのだと。
 母が恋しくて、泣いていたのだと。
「――そう。この子は、本当に何も悪くなかったの。周りが勝手に期待して、落ち込んで……あたし、なんだか可哀想になっちゃって。この子は、あたしと何ひとつ変わらない『人』だった。か弱く、幼い、命だった。そんな存在を貶めようとする自分が――――酷く嫌になった」
 言って、彼は苦笑する。
「弟の呪いを解いてあげたい。守ってあげたい。慈しみたい――――母のように」
 それは、彼が、得ることのできなかった、一番近い愛情……。
「全部、自己弁護だったのよ」
「――そう。『だった』、んだ」
 朝長の言葉に、義平は「ええ」と吐息を漏らした。あまねは、自分を抱く、間近にある朝長の横顔を見た。次いで、義平の眼差しを見る。
(あったかい……)
 目頭に感じた熱に、あまねは目を閉じた。



 行程は、日に日に厳しさを増した。
 雪が深いため、馬を乗り捨て、歩かねばならなくなった。……馬に乗っていた時こそ、いつもと代わりはなかったものの、歩行になった途端に、朝長は周りに一歩、二歩、遅れるようになった。不安で、あまねの胸の鼓動が早まった。
 耐えきれずに安否を尋ねた。
 もちろん朝長は、「大事ない」と笑った。それでも安心できずに、義平に思うことを伝えた。
 彼は、すぐ様、弟の足を診て――――あまねを振り返ると、ニコリと笑った。
「大丈夫よ」と。
 けれど、あまねは、彼の口の端が一瞬、痙攣したのに気付いてしまった。
 ……雪は粉雪から吹雪に変わった。
 白が渦を巻き、辺りは白い闇に閉ざされた。小野宿、と言うところに、一行が逃げ込んだのは朝方だった。
 村の男たちの動きがきなくさい、落人狩りが始まるかもしれない、とのことで、ぬか喜びもできなかったが、幸いなことに一日、休みを取ることができた。
 凍傷になりかかっていた足を温め、軽く手拭いで身体を拭うと、あまねは泥のように眠った。
 ……そして、夕刻。
 ふいに鼓膜を掠めた声に、あまねは瞼を持ち上げた。
 外は相変わらずの雪のようで、潮騒のような風音が聞こえてきた。隣ではまだ、頼朝が寝息を立てていた。
 あまねは彼を起こさぬように上掛けをどけると、声のする方へ――――義平の寝ている部屋へと向かった。
「どうやったって、ついて来てよ。こんな、こんなところで……!!」
「義平。怪我を診たお前が一番分かってるだろう」
 耳を貫いた義平の悲鳴に、平静な声が答える。――朝長だ。
 あまねは唯ならぬ様子に、頭が真っ白になった。
「父上。……もう、この足は使い物になりません。必ず、足手まといになりましょう」
 ああ、とあまねは息を引き攣らせた。
 それは、最も予測しながらも、最も聞きたくない台詞――
「不肖の息子をお許しください」
 静寂に、衣擦れの音が響いた。スルリ、と刀を抜き放つ気配が続く。
「朝長……っ」
「お暇頂きます。――――義平。頼朝を頼んだぞ」
 義平の制止にも関わらず、嫌な音を……あまねは聞いた。
 荒い呼吸に呻きが混じる。そうして――――
 びちゃり。
 重い水音が跳ね、ゴトリと何かが床を転がった。
「……誰が、お前を不肖などと言うものか」
 義朝の、震える声が告げる。
「義平。みなには、朝長は暫く休んでから同行すると伝えよ」
「はい」
「首は、見晴らしの良いところに納めてやろうな」
 バサリ、と衣を翻す気配、そして、唐突に、戸が開いた。でくの坊のように突っ立っていたあまねを、目を赤くした義平がぎょっと見た。
「………………あまねちゃん」
「朝長さん」
 あまねは、義平が胸に抱く、布に包まれた朝長の頭を目にして、へなへなと座り込んだ。
 歯が鳴る。全身が音を立てて震え始めた。
(泣いちゃだめだ。今一番つらいのは、家族なんだ。泣いちゃだめだ)
 あまねは繰り返した。けれど、涙はちっとも言う事をきかない。
 あまねは歯を食いしばった。せめて、涙を見せないようにと、項垂れる。目元に腕を押しつける……
 そんなあまねに、義平は優しく触れた。
「一緒に、見送ってくれる?」
 彼は、微笑みすら湛えて、あまねを立つよう促した。
「…………はい」
(どうして、この人たちは……)
 宿の、裏に穴を掘った。
 そこに、布に包まれた朝長の首が横たえられる。
 敵方に首を曝かれることを最たる恥辱と考える彼らは、卒塔婆すら立てなかった。
 土が盛られると、やはり、そこだけ新たな土は黒々としていた。
 陽の許で見れば、訝しげに思う者もあるだろう。けれど、それも……雪に埋もれてしまえば、別だ。
 あっと言うまに、雪は首塚を隠してしまった。
 義平が手を合わせる隣で、あまねも倣う。義朝は、薄着のあまねの肩に、自身の打掛けを羽織った。まだ温かい血に濡れるそれは、けれど、あまねを寒さから遠ざけた。
 優しさが、心に爪を立てる――そう、あまねは感じた。
 ……あまねは、暫く落ち着くまで義平と共に肩を寄せ合っていた。やがて、割り当てられた寝所へ戻り、そろそろと寝具に潜り込む。と。
「死んだか」
 頼朝が、背中越しに問うた。
「……うん」
「そうか」
 あまねの答えに、彼は簡素に頷いた。
 頼朝の小さな肩が、震えていた。あまねは何と声をかけたら良いか分からず、背を向けると目を閉じた。
 出発まで、一刻を過ぎている。休める時に、休まねばならないことを、あまねはこの旅で痛いほど学んでいた。けれど、もちろん、寝付くことなどできようはずがなかった。

「今」は悉くあまねを裏切り、嘲笑うかのように、歴史は死を紡いでいく……。

( 第六章 了 )