刻の守護者

再会(4)

 戦闘の場は、義平、重盛のおかげで屋敷の奥の方へと移った後だった。
 続々と平家と源氏から応援がやってくる中、表門から堂々と中に入ったあまねと頼朝の二人は、この世ならざる者が示す目的へと急いだ。
 魑魅魍魎は、二人が離れる時を待つように、じっと息を詰め、間合いを計って、ついてきた。あまねは、その、余りの数に、うんざりする。
 そんな二人が、兵らに見つからぬよう、なんとか乱れた気の流れを追って辿り着いたのは西の対の庭だった。
 その端、榊の木が植えられている所に、白い狩衣を着た、四、五歳ばかりの幼子が二人、ぼんやりと立っているのを、あまねはハッキリと認めた。
 彼らは、二人の気配に気付くと振り返った。
 面に表情はなく、ほの暗い目が二人を眺める……頼朝が鼻に皺を寄せて近付けば、二人はササ、と場を離れた。
 あまねは頼朝の隣に立つと、彼の覗き込む先を目で追った。
 見下ろせば、新しい土が盛られていた。
 卒塔婆などは挿されていない。
 ただただ、湿り気を帯びた大地の香りに、腐臭が微かに混じっていた。
「これ……かな」
「だろうな」
 白い幼子、と言うのも、噂通りだ。
 頼朝は、躊躇いなく、土饅頭を前足で崩し始めた。――――と。
「そこで何をしている!!」
 神経質な叫び声が背後で破裂した。
 頼朝は気にせず、前足で土をかく。
 あまねは、頼朝に寄り添うと、背後を振り返った。
 もちろん、声の主は――――藤原信頼だった。
「やめい! やめいと言うのが聞こえないのか!」
 制止するにも関わらず、地を掘り続ける頼朝に業を煮やして、彼は寒いと言うのに、寝着に素足のままで縁側から飛び降りると、あまねたちに迫った。
 鬼火の灯に照らされたその顔は、怒りで赤く染まり、けれど唇は恐怖に震えていた。
「やめろ!! この、源氏の――――――」
「これはどういうことですか?」
 肩を怒らせ声を絞り出す信頼に、頼朝は冷ややかに、口に咥えたものを地に置いて示した。
「ひっ……」
 曝かれた墓の左右で、幼子達が目に手を押し当て、鳴き声をあげる。
 それは……二つの、小犬の髑髏だった。
 綺麗に肉片は取り除かれ、鬼火に照らされたそれは、青白く輝いていた。
「犬神の呪詛……確か、犬を頭部だけ出して生き埋めにし、目前に餌を置き、餓死する直前に首を刎ねる、だったか。オレのような憑き者とは違う、これは、明確な殺意を持った呪いだ」
 頼朝の隣で、あまねは息を飲む。
「重盛の言っていた話とも合う。……信頼殿。もう一度問う。これは、一体、どういうことか」
 信頼はわなわなと拳を振るわせて黙っていたが、やがて、膝を折ると地に突っ伏せた。
「全ては、後白河様のため――上皇様のためだ」
 言って、彼は涙ながらに顔を上げた。
「上皇様はお可愛そうな方だ。早世された体仁様にお世継ぎがおらず、取り次ぎの形で践祚された。今上陛下・守仁様に位をお譲りになってからは――見ろ。貴族どもは上皇様には目もくれぬ。もう、間を取り持つための上皇様は用済みだと……。あの方が、まだ、政治的なことに僅かに携われるのは、わしやお前達源氏がお守りしているからに過ぎない」
「それで、今上陛下を呪い殺すと……? 何て、身勝手な」
「国に二つの頭はいらぬ。そして、私は上皇様の御代をお支えしたいのだ」
 言って、信頼は押し黙った。
 子犬の亡霊のすすり泣きが、場に落ちる。
 あまねはそっと髑髏に近付くと、拾い上げた。懐に入れる。
 力で吹っ飛ばすより、供養をして穏やかに眠らせてあげたいと思ったからだった。
 ややあって、信頼は、頼朝にふらりふらりと近付くと、縋りついた。
「………………見逃してはくれぬか」
「オレは、呪詛を許さない」
 頼朝はハッキリと言った。当たり前だ。彼は、誰よりも呪われる苦しみを知っている。
「そうか……」
 信頼は力なく項垂れた。
 あまねは、一瞬、信頼の口の端が引き攣るのを目にした。――と。
「信頼様!! こんなところにおいでになりましたか!」
 髪を振り乱し、必死の形相で走り来た、女房が、がっしと信頼の腕を掴み、立たせた。
「早く、早く、お逃げください。いずれ、ここにも……」
「此処にも人がいるぞぉ!!」
 背後で上がった怒号に、「ああっ!」と女房が悲鳴を上げる。頼朝がグイ、とあまねを引き寄せた。その時。
 びゅんっ
 鼻先を掠めるものがあった。
 ――矢だ。
 矢が宙を裂いて無差別に飛んでくる。
「伏せていろ、あまね」
 頼朝が、尻尾であまねを自身の背後へと押しやった。
 彼は首を振ると、飛んでくる矢を悉く牙で噛み負った。
「ぎゃぁッ」
 と、隣で断末魔の悲鳴があがった。あまねは身を縮こまらせて、声の方に目線をやり……息を飲んだ。
「あっ……の、ぶより、さま」
 信頼は女房を盾に矢を防いでいた。
 矢が束の間、止む。
 松明を持った男たちが走り来て、二撃目が構えられる。
 信頼は、胸に四、五本もの矢を受けた女を放ると、とっとと逃げだした。
「呪具は持ったな? オレたちもさっさと行くぞ。――おい、あまね」
「し、死………………」
 あまねは、打ち付けられたように動けなくなった。
 地に、黒い血だまりができている。
 半開きになった女房の唇から、紅が零れ出ている。
「酷い……こんな、助けにきて」
「あまね!」
 苛立たしげに、頼朝が吠えた。
「すぐに立て!! ぐずぐずするな!」
「わ、分かってるよ――――あ」
 けれど、やはり、動けない。まるで身体が足を忘れてしまったように、膝が震えて立ち上がれない。
「やっ、やだ。足が」
「馬鹿がっ」頼朝は舌打ちすると、無理矢理あまねの打掛けを食み、背に引きずりあげた。と、再び矢が降り出した。
「ひっ……」
 あまねは、頼朝の上で身を縮こまらせた。
 その時、ドスッと重い音が響いた。
 驚き見遣れば、頼朝の右足の付け根に、一本の矢が深々と刺さっている。
「よ、頼朝」
「平気だ、これくらい」
 矢の攻勢をかいくぐり、二人は裏門へと向かおうとした。その刹那――――

 ポタリ。

 頼朝の血が、一粒、落ちた。
 大地が、味わうように、その血を舐めとる。
「な、何だぁ――――――!?」
「ば、ばばば、化物があああああああッ」
 矢の飛んできた方が、俄に騒がしくなった。
「ああ、くそ! ここは呪具があった場所だった――――――」
 突然、頼朝があまねを振り落とす。
「いっ……」と、あまねは、強かに尻を打って、悲鳴を飲んだ。
 頼朝は闇に対峙した。そうして、背中越しに声を張り上げる。
「腕輪を外して、端に避けていろ!」
 闇の静寂に、亡者が揺れる。
 あくまで外から眺めるだけだった、哀しき存在たちは、頼朝の血に誘われて、ついに集まってきた。
 ましてや、ここは、犬神の呪詛が行われていた場である。
 他の地よりもその数は多く、加えて、不運なことに、今夜は新月だった。
 灯火のごとく、淡い光を発する鬼火がぼんやりと辺りを照らした。
 亡者らは、間断なく頼朝に襲いかかった。
 背後では、逃げ惑った人々が、バタリバタリとドミノ倒しのように、事切れて行く。
 頼朝は、片っ端から襲ってくる亡者を捌いていった。
 噛みつき、時に振り回し、千切っては投げ、時に喰い……地に、力を失った、黒い影が蟠っていく。
 同じくして、頼朝の瞳にも、苦い色が広がるのを、あまねは見た。
 その時、不意に父の言葉が蘇った。

 犬神憑きは、呪われた者。呪いを――怨霊を、呼び寄せる。
 そして、それを喰らい続け、やがては犬神そのものになってしまう。
 犬神の受法は、呪われた本人が呪いを加速してしまう、恐ろしい呪いなんだよ

 胸が不安で高鳴った。
 頼朝の動きが突然、止まる。ハッとしたあまねの目前で、亡者が幾つも頼朝に飛びかかった。
「頼朝!?」
 黒い影に覆われた頼朝に、あまねはいてもたってもいられず、駆け寄ろうとして――――
 ブルリ、と黒い塊となった頼朝が震えた。
「よ、頼朝……?」
 一瞬にして、影は四散し、輝く白い毛並みが表れる。
 その時、雷鳴が轟いた。
 突然、バケツの底が抜けたような、激しい雨が……地面が歪むほどの勢いで、大粒の水滴が隙間なく、バタバタと天から降り落ちた。
「ぐ、ぅ…………な、んなんだよ、こ、れ」
 全身をびっしょりと濡らした頼朝は、目を見開き、牙を剥き出した。
 前足を突っ張り、何かに耐えるように身を堅くする。と。
 バッ!!
 音を立てて全身の毛が逆立った。
 毛にまとわりついていた雨滴が、飛び散る。
「うおああああああああああああああっ!!」
 続いて、頼朝は大口を開けると空気を引きちぎるかのような悲鳴を上げた。
 やがて、その声は、獣そのものの咆哮へと取って代られる。
 ……彼は、闇に跳躍した。
 あまねが制止する間もなく、頼朝は、まず呪詛に使われた、二匹の魂を食べてしまった。それでも足りずに、辺り構わず牙を振るい出す。
「いっ……」
 兵の一人が、あやまって場に飛び出した。
 信頼の首級を求めてやってきた武士だろう、彼は、一瞬にして噛み千切られた。
 赤い、雨が散る。
 亡骸はボロ雑巾のように地に叩きつけられた。
 ビチャリ、とあまねの頬を、生温かいものが濡らした。
「よりとも……」
 闇夜を裂く、恐怖の轟き。
 濡れて輝く白い毛が、斑に赤く染まる。
 覚醒した王者を湛えるように、鬼火がふわりふわりと円を描く。
 幻想的で……凍り付くほど、おぞましい情景だった。
「よ……頼朝」
 彼は、騒ぎを誤解して雪崩込んできた武士たちに向き直った。男たちが色を失くす。一拍の後、折れ重なるようにして、彼らは来た道を戻り始める。
 恐怖で動けない者はおいていかれた。
 そんな彼らへ、頼朝はゆっくりと歩みを進めた。
「頼朝、だ、駄目だよ……」
 ぐちゃり、と血と怨霊の蟠りを踏み越えて、彼は進む。
「ひ……ひぃっ。ひいっ」と声にならない吐息をこぼして、男たちが尻で這いずり退く。
 それを悠然と見下ろし――――頼朝は、殺人の前足を振るった。
「頼朝っ! 無事ね!?」
 あまねの目が、鮮血の向こうに、弟の安否を気遣ってやってきた義平を捉えた。
「義平さん!? い、今、来ちゃ駄目です!」
 頼朝はそれを兄と認識できないのだろう、地に転がる他の男たちと同じように、噛み殺そうと大口を開いた。
「駄目だよ、頼朝!!」
 あまねは、知れず、地を蹴っていた。
 自分の内の全てを絞り出すように、声を上げる。
 と、ピクリ、と頼朝の耳が動き、動きを止めた。
 目を見開いた義平が、ぺたん、と尻持ちをつく。
「駄目だよ、頼朝。犬神に飲まれないで」
 声の震えを精一杯抑えて、言い聞かせるように、あまねは穏やかに言った。
 頼朝は、急速に義平から興味を失うと、振り返った。
 つぶらな、赤い瞳と見つめ合う。
 それは――――人のものではなかった。
 凪いだ、凍るように冷たい、獣のそれだった。
 頼朝は、静かにあまねを見つめた。
 あまねは、息を詰めて立ち止まった。
 そろり、と、頼朝がすり寄って来る……荒い息が、耳を掠める。
 噎せ返る血の香りで、あまねは目眩を感じた。
 吐き気もした。
 けれど、彼女は歯を食いしばり、震える自身の身体を両の手で抱いて、詰めていた息を吐く。
「より……とも。大丈夫だよ」
 唇を開く。
「大丈夫。落ち着いて。ちょっと、たくさん食べ過ぎちゃっただけで、すぐに」
 頼朝は何の反応も示さない。
 一歩一歩、あまねに近付く。
 開かれた口から、牙が覗く。
 涎のように、食いちぎった亡霊と人の体液が、混ざり合ったおぞましい色が垂れ落ちる。
 彼は頭を垂れた。
 あまねは頼朝を見下ろした。
「頼と――――」
 ――――鼓膜を、獰猛な息づかいが震わせた。
 一瞬、あまねは何が起こったのか分からなかった。
 背に痛みが走る。胸が圧迫されて悲鳴を上げた。
「―――――――――ぐぅっ」
 荒い息を吐いて、頼朝が前足であまねを踏みつけていた。ギリリ、と肺に空気が逆流する。
(あ! ブレスレット……!)
 そこで、彼女はやっと自分が腕輪を外していないのに気付いた。けれど、何もかもが遅い。
 頼朝の爪が、あまねの乳房の辺りに突き刺さる。
 痛みに身体が飛び跳ねた。
 何か、何か言おうとして、あまねは歯がカチカチ鳴らすことしかできない。
 頼朝を見る。彼の口の端に皺が寄る。――そして、ガッと口が大きく開いた。
 ――――噛まれる!
 脳裏に、先ほど無残にも殺された男の映像が過ぎった。
 あまねは目をきつく閉じた。と。
「アチメ・オーオーオー」
 不可思議な音が、耳を掠めた。
「登ります、トヨヒルメが御魂ほす、もとはカナホコ、すえはキホコ、もとはカナホコ、すえはキホコ。……悪しき気よ、今すぐ、おさまりたまえ」
 続く、穏やかな、聞き覚えのある声。
 あまねは、恐る恐る、瞼を持ち上げた。
 見れば、大口を開けながら、頼朝は動けないでいた。
 やがて、爛々と赤く輝く瞳が、次第に、その残虐性を失い、茶に戻っていく。
「よ、りと……も」
「…………あまね?」
 恐る恐る呼びかければ、頼朝は呆然とあまねを見下ろした。
「オレ、は………………」
 頼朝が声を発すると、牙に付着していたのだろう肉片が、地に落ちた。
 あまねは、唇を戦慄かせた。
 何か告げなければならない。
 彼のみるみるうちに憔悴していく姿に、そんな、焦りを感じた。
 けれど、言葉は凍り付いて声にならない。
 二人は、窒息しそうな沈黙の中、見つめ合った。
 ――と。
「大丈夫かい? そこの――」
 背後から上がった声に、二人はビクリと震えた。
 やがて、表れた男は、あまねの姿を認めると、素っ頓狂な声を漏らした。
「――――あまねちゃん!?」
「な、おちかさん……?」
 土御門直愛だった。
 そこにいたのは、UBPの本社で別れた……あまねが心から再会を願っていた、直愛その人だった。
 直愛が駆け寄ってくる。
 と、同時に頼朝は、素早い身のこなしで踵を返した。
「頼朝!? 待っ――――!!」
 あまねの制止を聞かず、獣は足で雨水を跳ね上げて、もの凄い速さで去って行く。
「頼朝…………」
 あまねはへたりこんだまま、白い影が消えた暗闇をいつまでも見つめていた。

( 第三章 了 )