刻の守護者

再会(3)

 雲の流れが速く、今にも一雨きそうな夜だった。
 寝静まった都には、うろつく野犬も、酔っ払いも、浮浪者の姿もない。
 と言うのも、みな、我が物顔で路を闊歩する、妖怪やら、ぎゃっぎゃっと声を上げてじゃれ合う、獣ならぬ獣だとか、恨めしげに呻く死者の姿を恐れるが故だろう。
 螢火のごとき鬼火は、行き場を無くしたように、行ったり来たりを繰り返していた。
 闇色の中空で、人ならぬ者たちが飛び回る。
 道の端では、亡者がぼんやりと佇む……月の光もない闇夜は、あたかも別世界だった。
「ここ、なんですね?」
 頼朝は、ある館の前で立ち止まった。
 あまねは彼の背から地に降り立つと、じっと垣根の向こう側を見つめるようにした。
「確かに……ここが一番、集まってます」
 水槽の中で、小魚たちがコツンコツンと壁を突くように、鬼火たちが垣根を食んでいた。
「ああ。だが、ここは――」
 頼朝は眉根を寄せると唸る。
「いや。中に入るぞ。確かめる」
 地からボコッと音を立てて顔を覗かせた、莵のような妖怪を、問答無用で踏みつぶすと、頼朝はグッと腰を屈めた。
「ほら、さっさと登れ」
「登れって言われても……」
 頼朝を台座に、慎重に垣根に足を這わせて、手を伸ばす。
 枝が腕に噛みつく。
 あまねは、目を眇めて、登った。
 こういう時、術者ならば灯の一つでもおこせるのに、と自身の無能さを呪う。
 と、垣根の添え木が、腐っていたのだろう、あまねが足を乗せた瞬間に、バキッと嫌な音を立てた。
「ひゃんっ」と、おかしな悲鳴をあげて、あまねは落下した。
 例の如く、頼朝が受け止める――と、言うより、下敷きになる。
「………………お前な」
「だだだ、だって、暗くて……ッ」
 その時だった。
「そこで何してんのや!」
 飛んできた厳しげな声に、あまねは飛び上がった。
 振り返れば、鬼火とは違う灯――提灯を揺らして、大きな影が三つ歩み来るのが見えた。
「――頼朝? あなた、こんな夜更けに何してんの」
 聞き覚えのある声に、あまねはホッと胸を撫で下ろす。人影の二つは、義平と重盛だった。
「あら、あまねちゃんも。どうしたの、二人して」
 どう説明しようか言い淀んでいると、すかさず頼朝が言った。
「兄上に危急の用があり、参上いたしました」
 深々と頭を下げる。
 そんな態度に、あまねと義平が目をぱちくりさせれば、三人目の影が訝しげに小首を傾げた。
「表から入れば良いではないか」
 信頼だった。
「このような身の上に加えて、刻も遅く。取り次いでいただけるとは思えません」
「さもありなん」と、信頼は鼻で笑った。
 それから、左右に立つ義平と重盛に目をやると、肩を竦めた。
「夜も遅い。今日はこれでお開きにしよう」
「へーへー。お役ごめん、ってね」
 送ってきたのだろう二人を労うこともせず、信頼はさっさと踵を返す。
 出迎えた召使いたちに傅かれながら、門を潜る。
 その背に、義平と重盛は示し合わせたように、不機嫌丸出しで舌を出した。
「――――で? (タレ)ェ連れてこんなトコに、何の用があるっちゅーん?」
 頼朝に向き直った重盛が問う。
 頼朝は不機嫌そうに身を起こした。
「ここに呪詛が――――あるって言うのね」
 頼朝が口を開くよりはやく、義平が言った。
「呪詛ォ!?」
「しーっ! あなた声がデカイのよ!!」
 間髪入れず、義平は拳を重盛の後頭部に振り下ろす。
「……じゃー、信頼が今上陛下を呪ってるっつーんか」
 頭をさすりながら、重盛が声を落とすのに、「おそらく」と、頼朝は頷いた。
「確かなんか」
「敷地のどこにあるかまでは分からない。だが、気配を感じる」
「あまねちゃんも……なの?」
「はい」と、深く、あまねは頷いた。
 義平は顎に手をやると、うーん、と唸った。
「それで垣根を登っていた、と。……困ったわねぇ」
 夜道を共にした者に、一声、足を休めたらいかが、と提案するのは貴族の嗜みである。が、信頼にはそのような気遣いもない。そんな相手に茶を一杯、と求めても、門前払いされるに違いなかった。
「日ィ改めたらええやん」
「陛下の身が、更に危険になる」
「だわね。じゃあ、やっぱり、無理矢理でも入っ――――」
 突然、スッと義平の目が細まった。重盛も急に殺気立つ。
 あまねはギクリとした。
 道々をゆく、この世ならざるものも、動きを止めて、義平の見つめる先に虚な目を向ける。
「隠れて」
 義平が、弟とあまねを引き寄せた。
 重盛が提灯の明かりを消す。息を詰める。
 ……と、暫くしていくつもの足音が耳を打った。
 それは段々と近付いてきて、あまねたちの前を横切った。
 武装した、男たちだった。
 百いるかいないかの、その小さな集団は、信頼の館前でピタリと足を止めた。
 ――そして。
「逆賊信頼! 覚悟!!」
 夜を裂く、怒号が轟いた。
 静寂を破砕音が切り裂き、門が打ち破られる。
「い、一体、何事?」
「信西や。ついにやりおった」
 呆気に取られる義平の隣で、重盛が冷静に応える。
 信西。
 後白河上皇の寵愛を受けたものの、おのれの傲慢さによって信頼にその地位を奪われた落伍者――白居易の「長恨歌」を上皇に提出し、信頼の野心を安禄山に乗せて告げ口した入道である。
「頼朝。入り込む理由ができたわよ」
 ニヤリと口の端を持ち上げる義平に、「ああ」と答えて、頼朝も闇に目を眇めた。
「よし、道はあたしたちが切り開く。この数なら、何とかなりそうだし。ね、重も――」
 長刀に巻き付けていた布を払い退け、義平が重盛に目配せする。
 が、重盛は、義平のことなど眼中にもなく、ブルリと大きく身体を震わせると、目を輝かせて、腰から刀を抜き放った。
「戦やぁああああああああああああ!!」
 天を突き刺すように刃を振り上げ、言葉にならない声を発した。
 ついで友のことなどお構いなく、地を蹴る。
「ちょ、重盛!! 待ちなさいよ!!」
「我が名は、平清盛が嫡男、平重盛!! 逆賊信頼の助太刀致す――!!」
「逆賊の助太刀してどーすんのよ! この場合、信西が逆賊で……」
「ぃいいいいやっはぁあああああああああ!! 血祭りじゃあ! 血祭りじゃあ―――っ」
「ああ、もう! お待ちってば!!」
 義平は頭をかくと、溜息を吐いて友の後を追った。
 ぽかん、とあまねは走り去る二人を見送る。と、頼朝が口を開いた。
「あまね。お前は――――」
 あまねは頼朝を見下ろした。
 頼朝は、暫くその視線を見つめ返してから、ふっと鼻から息を逃すと、尻を向けた。
「いや、何でもない。――――――行くぞ」
「はい!」
 ポツリ、と雨粒が一つ、あまねの鼻先に落ちた。