刻の守護者

犬神憑きの少年と、その兄弟(5)

 平治元年、一一月(しもつき)某日。
 西に傾いた陽が、板の間の部屋を静かに染める夕暮れ時、源氏の邸宅に、錚々たる面々が一同に解した。
 上座で足を崩して座るのは、後白河上皇の寵臣・藤原(ふじわらの)信頼(のぶより)。御年二七歳。恰幅良く、背の高い彼は、似合うか否かは別として美しい衣服をまとっていた。対して下座に、邸宅の主、源氏棟梁・源義朝が背を正して座り、空気を引き締める。
 その後ろに、彼の二人の息子、義平・朝長、そして、平家嫡男・平重盛の三人が並んでいた。それぞれ、歳は一九、一六、二三。
 溌剌とした若さ溢れる、青年たちだった。
 彼らが身に纏う直衣は、義平が浅葱色、朝長が暗黄色、そして重盛がえんじ色だったから、あまねがこの場にいたら、場の重苦しい雰囲気にも関わらず、信号を連想したに違いない。
「こんなものを(しる)してまで、私を排除しようとするとは……余程追い詰められていると見える」
 信頼は低く笑うと、手にしていた絵巻を放った。
 義朝が拾い上げ、紐解いて斜めに視線を滑らせる。次いで、後ろの義平に手渡した。膝を進めて重盛と朝長が覗き込む。
「これは……長恨歌?」
 三人の声が重なった。
 長恨歌――白居易が記した、楊貴妃と玄宗皇帝の悲恋譚である。
 絵巻に描かれていたのは、その中でも、玄宗皇帝寵臣・安禄山の話だった。
 信頼は口元を歪めると言った。
「寵愛を受ける安禄山を私に重ね、『大将位を渡すなど以ての外だ』と、上皇様に御諫言なされたらしい。もとより、近衛府の長官など期待はしていなかったが、信西の胸の内を知れたのは、幸いなことだった」
 玄宗皇帝の寵愛を一心に受けた安禄山は、その寵を笠に着て奢り、やがて自身こそ王に相応しいと帝に反旗を翻した。
 信西は、この故事に乗せて、信頼の野心を密告したのだ。
 信頼は、顎を撫でさするとニヤニヤ笑った。
「急に昇進した私が鬱陶しいらしいが……このように、あたかも自分こそが上皇様を思っていると訴えたところで、失った寵は戻ってはこまい」
「あれだけ、あからさまにバカにしてたらねー、さすがの上皇様も怒るってもんよ。遠ざけられて当たり前。信西殿が悪い」
 義平は腕を組んで、うんうん、と頷いた。
 もともと、後白河は帝位につく予定は無かった。
 ゆえに、彼が政治に疎いのは、当たり前だろう。にも関わらず、信西は、彼の片腕として政治を支えながら、影で、君を暗愚だ何だと悪し様に馬鹿にしていた。そんな彼は、急速に台頭してきた信頼に地位を奪われ、逆恨みを始めたのである。
「義平」と、たしなめの声を発したのは、朝長だった。
 義平は弟が投げかけてくる、神経質そうな眼差しを無視すると、信頼に問うた。
「逆恨みも甚だしいけど……ちょっと、危ないんじゃないんですか? 前に信西殿を見かけましたけど、あなたを睨め付ける目……狂気じみてました。このままだと信頼殿ったら、殺されちゃうかも」
「義平、いい加減に――――」
「上皇様は、何て言うてんでっか?」
 義平よりも頭一つ大きな巨体が進み出る。
 訛りの強い言い回しで、問いを口にしたのは重盛だった。
「信頼殿が殺されるなんて、上皇様、かんにんならんやろ」
「殺られる前に、殺っちゃえ! なーんてことは……」
「義平!!」
 さすがに、信頼を除いた一同が息を飲む。
 思わず声を荒げた朝長は、はた、としてから、信頼に向き直ると、頭を落として告げた。
「信頼殿、今のことは――――」
 応えない信頼に一抹の不安が過ぎり、朝長は顔はそのままに目だけで上座を見た。
 そして、信頼の面に浮かんだ表情に、言葉を飲み込んだ。
「わーお」と、義平が、わざとらしく目を瞬く。
 信頼は、意味ありげに一同を見渡してから、穏やかに瞑目した。
「奢り昂ぶっているのはどちらの方か、と、上皇様はお怒りだ」
 静かに呼吸を繰り返し――頬を小刻みに震わせて、彼は卑しい声で笑った。
「上皇様は、もとより皇位から外れたお方。信西殿はあの方を認めておらぬ。ゆえに政治を今上陛下の手に……と奔走しておられる。それも上皇様にとっては、気分の良いことではなかろう」
 そう誰にともなく言って、彼は立ち上がった。顎を反らし、不遜な態度で続ける。
「日時が決まり次第、お前たちに動いてもらう。準備は怠るなよ」
 一同を見渡すと、彼はもう用は済んだとばかりに出て行ってしまった。
「…………信西殿に図星突かれたから殺す、とは言わないのね」
「蓋ァ開ければ利己的な理由やっても、周りに反信西が仰山おる。信西が落ち目にあるゆぅて、今こそやったれ! って、誰も信頼殿を止めたりはせぇへんやろ」
「信西殿は焦っているのだろう」
 朝長の言葉に、義平と重盛は振り返った。
「帝の病は日に日に重くなっていると聞く。早く、上皇から政を取り上げ、正統なる二条天皇の流れにお戻しせねばなるまい、と」
 重盛が「それや」と手を打った。
「帝のあれ――――祟りらしいで」
「祟り?」
 源氏兄弟が眉根を寄せるのに、重盛は深く頷いた。
「先の戦で死んだ亡霊やろ、って。白い子供(チビ)が、『苦しい苦しい』て、夜な夜な陛下の元に現れるらし。噂やねんけど」
 先の戦――三年前に起こった保元の乱は、皇位継承と摂関家の家督争いが重り、血で血を洗うような悲惨なものだった。
 義平の源氏方も、重盛の平氏方も、一族に多くの犠牲を出した。老若関わらず、多くの者が死に、戦の後、怪異が後を断たない。
「…………祟り、ねぇ」
「何や? 他に思い当たる事でも?」
 重盛が先を促すのに、義平は左の指の爪を噛んだ。
「うん。あの子は、あれ、祟りじゃなくて呪詛だって」
「あの子、て――――頼朝が?――ああ、そいや、うちに来た陰陽師も、訝しんどったな。やけど、それって、つまり――――――?」
 重盛が頭を抱えた時だった。

 ―――――どふあぁああああああああ!?

「な、何!? どうしたの?!」
 中庭で、盛大な悲鳴が上がった。
 義平たち三人は、慌てて庭に降り立った。
 見れば、上向けで地に転がる白い獣――。
 頼朝は、怒りに全身を振るわせて、飛び起きた。
「ふっざけんな! おま――――」
 そんな彼に、少女が近寄る。頼朝が青くなる。
「いや、ちょ、ちょっと待て。近寄ン――――――ぐえっ」
 再び、彼は地に潰れた。
「頼朝? ――――と、女ァ?」
 重盛と朝長が、きょとんとして見ていると、義平が、自室へと戻ろうとしていた父に声をかけた。
「お父様。あの娘には西の一室を与えましたので」
「そうか」
「客だと? 義平。私は聞いていないぞ」
 訝しげにする朝長に、義平はニヤリと笑う。
「夜這いはだめよ、朝長」
「だっ誰がするか! と言うか、何故そうなるんだっ」
 顔を真っ赤にして、唇を開閉させる弟を、義平は楽しげに見た。と、重盛が言った。
「今度は、巫女さんかい」
 義平は片目を瞑って頷くと、そっと両手を胸の前で組んだ。
「あの子が諦めたってさ。――誰が諦めたってさ、あたしは諦めない。そう誓ったのよ」
「失礼がないようなら、後で挨拶に行く。土産の選別は頼むぞ、義平」
「お任せください」父の言葉に、義平は優美に礼をした。
「わたしも参ります」
「朝長は遠慮しなさいよ。仰々しいでしょ」
「馬鹿者。弟を頼むのだ。礼を尽くすのが人の道だろう」
 至極真面目に、朝長が応える。
 義平は、ポカンと自分よりも背の高い弟を見上げ、やがて、声を上げて笑った。
「…………何だ」と、朝長がむっすとする。
「いやぁ、愛しちゃってるなーって」
 笑い過ぎで潤んだ目尻を、義平は指先で拭うと言った。
「あっ、愛ぃ……!?」
 朝長は、顔を真っ赤にした。そして、至極真面目な様子で言い返す。
「あ、当たり前だろうが! 異腹とは言え大切な弟、しかも源氏を嗣ぐ尊い嫡男だぞ!! 愛して何が悪いか!」
 義平はポカンとした。それから、くしゃりと微笑む。
「そーよね。そーなのよ。あたしたち、本当に大好きなのよ。なのに――」
 少女と何だかやりあう弟を見遣った義平は、泣き笑いの表情で肩を竦めた。
「いつになったら、あの子は懐いてくれるのかしらねぇ」
 しんみりとした空気が、吹き寄せる寒風に滲む……と、状況をまるで読まない、晴々とした声音で、重盛が問うた。
「客人っつーことは、今夜はあれや。宴やな?」
 源氏の三人を見渡すと、彼は手を組んで、小躍りするように巨体を揺すらせた。
「ご相伴、仕りまっせ!!」


 ……一日の終わりを告げる夕日が、西の空へと傾き、夜の始まりを告げていた。