刻の守護者

犬神憑きの少年と、その兄弟(2)

 犬神憑きの少年は、ペッと唾を吐き捨てると、鼻を鳴らした。
「一昨日来やがれってんだ。雑魚どもが」
 言って、地に散る敵の残骸を見遣り、牙を剥き出しにして唸る。
「ちくしょう。狩りするにしても、擦り傷すら負えねぇってのは面倒くせーな」
 それから、背後で少女の身体を揺すりながら、騒がしくする男を振り返った。
「……おい。女がどうかしたのか」
 ゆるりと近づいてそう問えば、男は飛び上がった。
「ひぃっ……お、お助けぇっ!!」
 尻で地を這い、踵を返すと、脇目もふらず、山道を転ぶように駆け去っていく。
「生きてて良かったな! 真っ当に生きろよー」
 その情けなく遠ざかる背に声をかけてから、犬神憑きはあまねを覗き込んだ。
「強がってた割に、死んだか?」
 面倒くさそうに、蹲るあまねに鼻を寄せる。 ――――と。
「ぐぉッ!!」
 バチン、と雷が木を打ち割るような音を立てて、彼は吹っ飛んだ。大樹の幹に打ち付けられ、ずるずると地に崩れる。
 ……と、そこへ、馬蹄の音が森に響いた。
頼朝(よりとも)~? 一人でやるなって言ってんでしょーが。その内、食われ――――ちょ、ちょっと!? 頼朝!?」
 馬に乗ってやってきたその人物は、地に蹲る白い獣の姿に慌てて馬上から飛び降り、駆け寄った。
 息を飲むほどに、美しい人だ。
 睫の長い一重まぶたの眼尻と目頭に差された紅が、研ぎ澄まされた刃のような、麗しさを添える。
 緩く波立つ長い髪を、右の端で軽く結び、鮮やかな紅の小袖を着込む姿は、一見大柄な女性にも見えたが、はだけた着物の袷目から覗く胸板は、女性のそれではない。
 小袖の裾を優雅にさばいて、白い獣――彼は頼朝と呼んだ――の側に跪いて抱き起こせば、獣は頭を振って呻いた。
「くそっ……」
「あーもう、良かった。どうしたのよ。寝っ転がったりなんかして。あんまりお兄ちゃんを心配させないのよ」
 ホッと安堵の溜息を零す彼を無視して、頼朝は再び立ち上がると、厳しげな眼差しであまねに歩み寄った。
「ちょっと? 頼朝?」
「―――――――――ッ!!」
 訝しげにする兄の前で、頼朝は、再び吹っ飛ばされ、幹に激突した。
「頼朝!?」
 ぎょっとする兄など構わず、頼朝は独語する。ぶるり、と全身を振って砂埃を叩き落とすと、「やっぱりそうだ」と、忌々しげに鼻の頭に皺を寄せた。
「な、何なのよ。一人で納得してないで、説明しなさいよ!」
義平(よしひら)。その女に触ってみろ」
 拗ねたように頬を膨らませる兄――義平に、頼朝は不遜な態度で命じた。
「は? はあ!? 嫌よ、あたし。吹っ飛びたくないもの――――」
 ギロリ、と頼朝に睨め付けられて、義平は渋々あまねに近付いた。
「………………後で、肉球ぷにぷにさせてよね」
 おっかなびっくり、足先であまねを突つく。
 やがて、おそるおそる手を伸ばして、肩に触れた。
「――あら? 何ともない?」
 が、義平が吹っ飛ばされる気配はない。
「怨霊ども、そいつには近付きもしなかった」
 義平はあまねの能力を把握したのか、「へぇ」と、驚いた声を上げた。
「珍しい()もいたもんねぇ」
 暫く、あまねを見下ろしてから、彼は横たわる彼女の背に手を回すと、「よーいしょ、っと」とかけ声を上げて、力強く持ち上げた。
「何を――――」
「ん? 置いていく訳にもいかないでしょ? 都の男は、女性には優しくするものだもの」
 訝しげにする頼朝に、義平が応える。
「…………勝手にしろ。オレには関係ねえ」
 頼朝は、暫く瞼を瞬かせてから、ふい、と踵を返した。
「後で人夫担いで来るより、あたしが持っちゃった方が手間がないし」
「知らん」
 頼朝が苛立たしげに顔を背ける。
 その様子に、声を殺して苦笑を漏らすと、義平は弟の背を撫でた。
「さ。帰りましょ。鹿肉は、適当に買ってさ」
 義平はあまねを抱いて、馬に跨がる。それから、立ち止まる弟に首を傾げた。
「――――頼朝? どうかした?」
「いや……」
 先に行くよう促すと、頼朝は、地で輝く、腕輪に気付いて鼻を寄せた。
 ついで牙に引っかけ、口にくわえる。
「恰好つかねーし。そーすっか」
 そうぼやくと、彼はつん、と胸を反らし、何事もなかったように義平が走らせる馬の隣に並んだ。