刻の守護者

刻の守護者(4)

 翌日の日曜日は、気持ちの良い冬晴れだった。
 風も心無し暖かく、ブレザーに毛糸のセーターだけで、十分こと足りるほどだ。
 業務内容を説明するからと、歴史保安委員のオフィスへやってきたあまねは、学校では面倒で付けることのない光沢ある青地のネクタイを首にした、本来あるべき制服姿だった。
 うなじ辺りできっちり纏めた黒髪、ダブルブレストのコートは、押入れの奥に眠っていた余所行きを引っ張り出してきた。足元で、ローファーがきらりと冬の澄んだ陽光を照り返す。昨晩、半年ぶりに磨いた賜だ。
 直愛に迷惑をかけないよう、もちろん左手には父親が買ってくれた――買ってしまった――ブレスレットを付けて、彼女は言われた場所までやってきた。の、だったが。
「え、えーっと」
 目を点にして、ポカンと口を半開きにするあまねに、社から迎えに出た直愛は、クスリと小さく笑った。
「ここに俺たちのオフィスがあるんだ」
 そう言って彼が案内したのは、予想外にも、下町の、和を売りにしたテーマパーク……の、敷地内にあるファストフード店だった。
「今日は、お仕事のお話ですよね?」
「そうだよ」
 混乱するあまねに、悪戯っ子のような笑みを浮かべて、彼はさっさと店の扉を引き開けた。親子連れで賑わう店内に、すかさず「いらっしゃいませ!」活気ある声が飛ぶ。が、それは、すぐさま「お疲れ様です!」に変わった。
 並ぶ客の脇を過ぎり、レジ隣のスイングドアからキッチンへ至る。
 すると、レジ係り以外のスタッフが、一時、自分の仕事の手を止めて、ズラリと整列し、あまねを見た。
「こちら、バイトの木津あまねちゃん」
 直愛の紹介に、スタッフは帽子を取って、深々と頭を下げた。
 ぎょっとしたのは、あまねである。
「あ、あ、あのっ、そんなにかしこまられると……」
 余りの仰々しさに、初めこそあたふたしたが、スタッフの、見つめてくる多くの真剣な視線に、あまねは唾液を飲み下した。
 それから、ぎゅっと唇を引き結び、姿勢を正すと、頭を下げて返礼する。
「よ――――宜しくお願いします」
「宜しくお願いします!!」
 力強声が応える。
 あまねは何となしに、これから自分が携わることが、とても責任のあることなのだと肌で感じた。向けられる期待を感じて、身が引き締まる。
 紙袋にしまわれた食事を手渡されて、二人はキッチンの更に奥まで進んだ。エレベーターに乗り込む。
 ――チン、と古めかしい音を立てて扉が開く。暗証コードを求める二つのガラス戸を通り抜けた先には、黒を基調とした、モダンかつシンプルなロビーが広がっていた。
「う、わぁ……広い」
 右手にはカフェスペースがあり、ソファやテーブル席では、様々な年代の人が談笑していた。左手には、綺麗な女性二人が座る受付があり、プレートには『UBP日本支部本社』の文字が見える。その奥がオフィスに違いない。
「あれが時輪タントラ……いわゆる、タイムマシーンだ」
 直愛が示す先――自分たちが乗ってきたエレベーターの対面に、五つの扉が聳え立っていた。あまねの唇から「はあ」と、気の抜けた返事が漏れる。タイムマシーンと言われても、いまいちピンと来なかった。それよりも銅像のように立つ、警備員が抱える代物の方が気になった。
「あれ、って本物なんですか」
「もちろん。本物の銃だよ」
 ゴクリ、とあまねは生唾を飲んだ。
 テレビの向こう側の世界が、目前に広がっていた。
 まさか、日本で銃――しかも、幅のある、中東の戦争で使われるようなそれ――を持つ警備員を見る日がくるとは、思ってもいなかった。嫌な汗が背を流れて、急に暑さを感じたあまねは、マフラーを外し、コートを脱ぐと手にかけた。
「当たり前だけど、許可のない者には厳しい措置が取られる。まぁ、そもそも、社員以外に扉は開かないんだけどね」
 穏やかな足取りで、直愛はカフェに向かった。きょろきょろと辺りを見渡し、空いた席を探しながら、彼は言葉を続ける。
「あまねちゃんは、俺に『同伴』って形で、過去へ飛ぶことになると思う。だから、君一人では時輪タントラは動かせない。何も不安になることはないよ」
 正に今、席を立とうとしていた男性が、直愛とあまねに気付いて手を拱いた。
 礼を言って、テーブルにつくと、早速、直愛は、下で貰ってきた紙袋の中身を展開する。
「過去に飛ぶ際、必ず守らなきゃならないルールが、三つある」
 五つのうち、色がそれぞれ違うバーガー包みを三つ、直愛はテーブルの上に並べると、続けた。
「一つ、不用意に、過去の人間へ未来の情報や物品を与えてはならない。二つ、過去の人間と子を成してはならない。三つ、過去において、接触した人間の記憶は必ず消さねばならない。――これだけ、頭の中に容れておいて欲しい」
「はっ、はい!」
「良い返事だ」と、微笑んだ直愛は、子供にご褒美を与えるように、あまねの方へ、三つの包みを差し出した。
 肉と、揚げたてのポテトの香りに、胃がぐぅと喜びの声をあげる。……あまねは恥ずかしさに急かされるようにして、逡巡することなく、照り焼きバーガーを手に取った。
「よし。じゃ、早速、始めようか。今日は、お茶でも飲みながら、俺たちがこれから行く時代のこと、俺たちが守る人物のことを軽く、勉強しよう」
 勉強、の単語に、知れず、あまねは頬を引き攣らせた。とりわけ暗記科目の歴史は、嫌いである。
 青くなるあまねには気付かず、直愛は、厚みのある鞄から書類の束と、黒塗りの手帳を取り出した。
「時代は平安後期。俺たちが守るのは――――源頼朝だ」
 ぱらり、と手帳を眺めながら、彼は言った。
「源頼朝……」
「――っと。頼朝の資料、新版が出たんだっけか」
 そう呟いた直愛は、厚みのある鞄の中をごそごそと確認し、やがて、自身の額を軽く叩いた。
「……あまねちゃん、申し訳ないけど、俺、オフィスから資料持ってくるよ。ちょっと席取ってて」
 手帳を胸ポケットにしまうと、直愛は足早にオフィスへ向かう。その背を見送ってから、あまねは詰めていた息を吐き出した。
「…………壇ノ浦の戦い、源義経、守護・地頭、ご恩と奉公、北条政子の演説……は、亡くなったあとだし。他は……うーん」
 脳裏で歴史ノートを紐解くも、大した情報は出てこない。
「源頼朝、ってことは、鎌倉――神奈川県なのかな。やっぱり」
 紙袋から炭酸飲料を取り出す。ストローを口に含んだあまねは、その先っぽをブラブラさせた。平安時代の神奈川県など想像もつかない……と、彼女は思考をやめると、何となしに辺りを見渡し、身を縮めて嘆息した。
「…………なんだか、私、場違いな感じ」
 カフェで談笑する者、読書をする者、電話をする者……彼らの年齢層は幅広い。
 下は、ランドセルを背負った男の子――親についてきただけかもしれないが――から、深く皺の刻まれた、威厳を湛えた老年の男性も見える。スーツを身に纏った、いかにもデキル女的な、ナイフの切っ先を思わせる女性やら、原宿の竹下通りで見かけそうな、フワフワした服装の女の子、何かの家元かと思わせる和装の青年……その横顔は、誰もが凛々しく見えた。
「ん……?」
 ふいに視線が、時輪タントラと呼ばれるエレベーター然とした扉に引き寄せられた。観音開きの戸へ向かって、一人の腰の曲がった老婆が、大きな長持を戸の前まで引きずっているのが目に入った。はた、として、辺りを再び見渡すも、助けようとする者はいない……
 あまねは、暫し逡巡してから、直愛が座っていた対面の椅子にバックを置き、コートを自身が座っていた椅子の背もたれにかけて、席を立つ。貴重品と財布を入れたブレザーは、ポケットがぱんぱんになってしまった。
「あの……大丈夫ですか? お邪魔じゃなければ、お手伝いします」
 開かない戸の前で立ち呆ける様子の老婆に声をかければ、時を見計らったかのように、観音開きがギギッと重たい音を立てて開く。
 それを見届け終わると、老婆はよたよたと隣に並んだあまねの方を向き、ニコリと笑んだ。
 長持は、腰を痛めそうなほどに重たかった。
 手伝うと自ら告げる気恥ずかしさを押してでも、手伝って良かったとあまねは思う。
 エレベータ内に一歩踏み込むと、そこは想像以上に広かった。
 あまねの自室より、ずっと広い――二〇畳ほどだろうか。一瞬で、エスカレータ内にいることなど、頭の中から吹っ飛ぶ広さと――異様な内装だった。
 壁に、ズラリと書き込まれた四桁の数字の羅列……それが、西暦を表していると察して、あまねの胸は、好奇心に高鳴った。
「行先は……この数字の中から選ぶのかな」
 月日や時間の指定はどうするのだろう? などと考えを巡らせかけたあまねは、老婆の存在を思い出して、ハッとした。
「すっすいません! 私、さっさと出ますね。お気を付け――」
 あたふたと老婆を見遣れば、いつの間に移動したのだろう、彼女は、あまねのすぐ目の前に……いた。
 老婆はニコニコと口元を綻ばせて、あまねを見上げた。
 彼女の顔形は、明日には忘れてしまうだろうほどに、何の特徴もなかった。
「…………あの?」
 理由のない不安が、不意に、過ぎった。あまねは、思わず一歩身を引いた。背が、壁が当たる。
 老婆は、あまねに向かって、ゆるゆると手を伸ばした。その先には――元三にプレゼントされた、ブレスレット。
「あ、あの、それは、父から頂いた大切なもので――――」
 皺くちゃの手が、ブレスレットをむんずと掴む。そして。
 ――――ブチンッ
 老婆は力任せにそれを引きちぎった。と、同時に、彼女も忽然と消えた。
「―――――――――え?」
 唖然とするあまねの前で、ひらり、ひらり、と人を象ったような、白く薄い紙が舞った。
 ガタンッ!
 立ち尽くすあまねの鼓膜を、重い音が貫いた。
 驚き振り返れば、エレベータの戸が閉じている。そして、段々と肩にのし掛る重力が密度を増していき……
「え……ええええええ!?」
 戸に縋り付くも、開く気配はない。非常停止ボタンも見当たらない。
「……嘘」
 為す術もなく、あまねはへたり込んだ。
 エレベータは下へ下へと、下っていく……



「あーまねちゃん!」
 資料を取りに行った直愛は、小躍りするテンションで戻ってきた。右手に、ホチキス止めされた資料を、左手には、優しい色合いの着物を二反、持っている。
「支給される着物なんだけどさ、新色が再入荷してて……思わず持ってきちゃったよ。桃色と水色どっちが好――――あれ? あまねちゃん?」
 直愛は、食事の広がったテーブルにあまねがいないのに気付くと、小首を傾げた。
 やがて、騒然とする辺りの様子に気づき、目を瞬かせる。……一つのエレベータ前に集まる、色を失った警備員たち。その群衆の中には、何名か、直愛の知る同僚の祓魔師も見えた。
「あまねちゃん……?」
 ややもしてから、直愛の中で、あまねの不在と騒動が一つに繋がる。
「――――――嘘、だろ」
 口元を引き攣らせた彼の手から、着物と書類が滑り落ちた。

( 第一章 了 )