鬼と花嫁

 時は、文明開化の目まぐるしい明治の中頃――酸素を奪われるかのような、蒸し暑い夜。
 雲間から覗く満月が、盛土の並ぶ墓地を照らしていた。
 盛大な蛙や夏虫の鳴き声が辺りを包み込む。
 そこに、ザッザッと不自然な音が混じっていた。
 小さな小さな、成人男性のてのひらほどの人影が、できたての墓を掘り返していたのだった。
 彼は色褪せた着流し姿で、額中央には小さな角が生えていた。
 その背後では、蟻やミミズ、莵だとか、犬、猫などたくさんの虫や動物が、観客のように彼を見守っている……。
「さて、と」
 小鬼は、現れた棺桶の蓋の上にあぐらをかくと、袖をたくし上げた。
 動物らが、彼を首を伸ばして覗き込む。――コンコンッ
 二度、彼は拳で打ち鳴らした。
 耳を澄ませて待てば、中から「はぁい」と返事があがる。
 彼は姿勢を正し、空咳を二、三して声を整えると、口を開いた。
「よ、よお、お(ひい)さん。俺様は……あー、神様なんだが」
「神様ぁ?」
「ああ。で、だ。今、ちょうど花嫁を探しててな。どうだい、お姫さん。あんた、俺様の花嫁に――――――ぬおっ」
 唐突に蓋が開いて、彼は、ゴロリと地面に落ちた。
 ぶるりと首を振って上半身を起こし……小鬼は、ポカンと口を開けた。
 土埃を払うのも忘れて、棺桶の主を凝視する。
「やンだねえ。こンな小っさな神様があってたまっかね。お断りだよ。他ァ当たりな」
「んな、んな、んな……」
 白眉を寄せて言い放った死者――お年をかなり召した乙女に、小鬼は唇を戦慄かせた。
 そんな彼の様子など気にも留めず、老婆は「おめえさん、ちゃんと土ィ盛り直してね」と言い置くと、ひらりと手を振って、棺桶の中に戻ってしまう。
「さー、ゆっくり寝るべ」
 ガタン、と器用に、内側から蓋がしまった。
 一拍後。
「だああああああああッ!!」
 小鬼は、三白眼を更に吊り上げ、短な髪を掻きむしって吠えた。
 続いて、顔を真っ赤にして、背後を振り返った。
「誰だっ! これ、これ、これっ、どっこが生娘だ!? ババアじゃねぇか、この野郎!!」
 ……すでに、彼を囲んでいた動物たちの姿はない。
「ババアで悪かったね! これでも、あたしゃ生娘だよ!!」
 と、蓋が勢いよく開いて顔を見せた老婆が、生者顔負けの声を張る。
 再び吹っ飛ばされ、地に仰向けに転がった小鬼は、バネ仕掛けの如く身体を起こし、唾を飛ばして言い返した。
「バーロー! 生娘ってのはなぁ、『生々しい娘』って書くんだよ! しかもてめぇ、死んでんだろーが! 生娘の『き』すら合ってねぇ! 少しは自重――――ぎゃあっ」
 小鬼は、容赦のない平手打ちをかまされ、地に沈む。
 老婆は鼻から荒い息を逃すと、再び土中へと戻っていった……
「………………すっげぇ苦労して、掘り返したのに、ふりだしかよォ」
 地面に突っ伏せた体勢まま、小鬼は天にぽっかり浮かんだ満月を見上げて、溜息を零す。
 と、その彼の頭に、ばさあっ、と、一塊の土が放られたのは、その時だった。
「ぶっ! だ、誰だ! この俺様に土ぃかぶせた馬鹿野郎は――――」
 土の山から泳ぎ出た小鬼は、一人の少女と目が合った。
 両手を振り上げたまま、息を飲む。
 時が止まった、と彼は感じた。
 墓地には似合わない、てらりと輝く絹のブラウスに、膝丈の紺のスカート姿の少女だった。
 年の頃は一五、六。
 漆黒の、少しくせのある髪を右耳の後ろでゆるりと束ね、意志の強そうな猫目が印象的な、細面の愛らしい少女がスコップを片手に立っていた。
「よ、よお。お姫さん」
 小鬼は、拳を作った手でもってさりげなく髪を撫でつけた。
 何か気の利いた台詞でも……と考えた時、ぶん、と宙を、不吉なにぶい音が過ぎった。
「ひっ」
「きゃああああ! 虫! 虫い!!」
 少女が、手にしていたスコップを容赦なく小鬼に振り下ろしたのだ。
「虫じゃない!! お、お俺様は、神様だ!!」
「きゃー! きゃーっ! きゃあッ!!」
「ちょ、おま……」
 紙一重で一撃は避けたものの、二撃目は正確に彼の頭頂をとらえていた。
「まっ、待てい!!」
 小鬼が喝を飛ばす。
 と、ピタリと少女が動きを止めた。
 ……恐る恐る、と言うように、見下ろしてくる少女に、小鬼はできうる限りの優しげな表情を浮かべて、再度、自己紹介をした。
「えー。あーあー。俺様は、虫じゃねえ。いいか? 虫じゃなくって、神様だ」
「神様?」
 少女はスコップを手にしたまま訝しげにした。
 小鬼は、暫しの間、少女の様子を窺ってから、そろそろと前へ突き出した両手を下ろし、警戒を解いた。不敵な微笑みを浮かべる。
「お姫さん。俺様の花嫁にならねーか?……いや、なってくれませんか」
 スコップが視界にチラつき、思わず小鬼は言い直した。
「花嫁?」
「な、何でも、願い叶えてあげるから」
 あたふたと小鬼は付け加えた。
 きょとんとする少女は、深く首を傾げた。
「ほんとう?」
「本当本当。……さ、三回までだけど」
「じゃあ、なる」
「……え? 本気?」
「うん」と、スコップを下ろして頷く少女に、小鬼は隠れて「よし!!」と、拳を作った。
 その彼に早速、彼女は問うた。
「ね、ね。お願いごと言っていい?」
「ああ、いいぜ。どんとこい」
「三回までのお願いごとを――――」
「増やすのはなしだぞ」
 すかさず小鬼が断れば、少女は不満の声をあげる。
「えー!! もう一回り!!」
「三個までだつってんだろ!!」
「ケチ! 神様のくせに、ケチ!!」
 ふい、とそっぽを向いて、少女は頬を膨らませる……年甲斐のないその態度に、小鬼はひくりと口の端を引き攣らせた。
 人選を誤ったかもしれない、と、自身の短慮に不安を感じたのは、言うまでもない。
     * * *
 一柱と、少女――圭子と名乗った――が向かったのは、東京の、とある喫茶店だった。
 橙色の電灯が薄ぼんやりと照らす中、寝ぼけた店員が、次々と二人の席に皿を運んできた。
 乗っかっているのは『あいすくりん』だ。
「お前、もっと、こう、賢い……と言うか、壮大な願いとかねぇのかよ」
 間断なく、皿と唇を往復するスプーン……
 テーブルの上であぐらをかいた小鬼は、呆れ返った。
「世界平和! とか、あなたにできるようには思えないし」
 口に広がる冷たさと甘さに、感動しながら、圭子は簡素に述べる。
 全くその通りで、小鬼には言い返す言葉がない。
「お金だって、今以上に欲しいとも思わない。素敵な服も、宝石も、身に余るわ。だったら、舌を満たすのが最もあたしの希望に添っているわけよ。――っていっても、これだって十二分に贅沢なのよ? あいすくりんったら、かの鹿鳴館で、お偉い様方にデザートとして振る舞われていたりするんですからね」
 こんもりと、冷たい乳製品の固まりを掬い上げ、圭子は表情を緩ませた。
「うふふ。一度、やってみたかったのよねえ。お腹いっぱいの、あいすくりん!!」
「腹壊すぞ……」
 あーん、と大口に放り込んだ圭子に、小鬼は、なんとかそれだけ言い返した。
 ……さんざん運ばれてくる皿を平らげたあと、圭子はお腹をさすりながら、不意に、口を開いた。
「ねえ、ねえ。神様ってどうしてそんなに小さいの?」
 圭子の触れてくる指先を、「突くな!」と叩き落としてから、小鬼は唇を突出し、忌々しげに応えた。
「お前らが俺様を忘れたからだよ」
「忘れた?」
「おう。物が溢れて、時間が早くなって、人はみーんな忙しくなっちまって……俺様みてぇな無名の神様(やつ)は、都合の良い時以外は不要になっちまった。お前らの日常からほっぽり出された。小さくなっちまった。……しまいにゃ、鬼だとか魑魅魍魎扱いされる始末だ」
「忘れられたままだと、どうなるの?」
 圭子の問に、小鬼は押し黙る。
 それで、大概のことは察したのか、彼女は顎に手をやり、唸った。
「ふーん。だから花嫁探してたんだ」
「べっ、別に、寂しかったとか、そういうんじゃなくて」
「うん。覚えていて貰わないと、消えちゃうんでしょ」
「…………そうだよ」
 スプーンを突出し、言い当てた圭子は、クルリとそれを器用に回した。
「切実な問題」
 それから、先端で唇をなぞるようにして、思案する。
「もとの大きさに戻るには、たくさんの人に知って貰わなくちゃならないんだ。そのための花嫁……ってわけ」
 彼女は言葉を飲み込んで、「あれ?」と、眉根を寄せた。
「でも、何で墓地になんていたの?」
「高望みはしないって決めたんだ」
「それじゃ、現状維持しかできないでしょ」
 一人でも覚えていてくれる人がいれば、これ以上、小さくなることはない、と考えての苦肉の策だった。
 が、死者では世間と関わることができないため、彼の存在を広く知らせることはできない。
 昔のように多くの信仰を集められない――元の大きさには、戻れない。
 鋭い指摘に、小鬼は「十分だ」と、吐き捨てる。
 それ以上、圭子は聞かなかった。
「ごちそう様でした」
 暫く黙々とあいすくりんを口中に運んでいた圭子は、空になった皿の上にスプーンを乗せると、顔の前で両のてのひらを合わせ、頭を下げた。
 それから小鬼に向き直ると、悪戯っ子のような表情を浮かべた。
「二つ目のお願い事を言います」
「お、おう」
 改まって言われると、何となしにびくりとしてしまう小鬼だった。
 圭子は、とんでもないことを口にするかのように息を吸い込んだ。
 小鬼が身体を強ばらせる。
 圭子は叫ぶように、願いを舌に乗せた。
「思いきり遊びたい、です!!」
「……何をして?」
 小鬼が冷静に問う。
 圭子はきょとんとした。
「な、何を? え、えーっとねぇ……」
「色々あんだろ。俺様はよく知らねーけど」
「あたしも、あんまりよく分かんない」
「はあ?」
 困ったような圭子に、小鬼は脱力する。
 訪れる、小さな沈黙。
「ったく。仕方ねぇな」
 短い溜息を零した小鬼は、スッと喫茶店の窓に手を翳した。
 窓が押し開かれる。
 小鬼は圭子を誘うようにして、彼女の前に立った。
 と――――ビュンッ
「きゃっ……」
「少しは神様らしーことしねぇとな?」
 一陣の風が、二人を窓外へ掠った。
 耳をかすめる風の音に飲まれて、圭子は夜空に舞い上がった。
 その肩口に小鬼がしがみつく。
 二人はそのまま、みるみるうちに高く高く天を舞い上がり、眼下に広がる町が十分小さくなると、唐突に、宙へ投げ出された。
 圭子が膨らんだスカートを押さえて、目を瞬かせる。
 ……不思議にも、二人は川面を滑る落ち葉のように、夜を漂っていた。
 月を目指して、光の粒子が舞っていた。
 星が、手に届きそうなくらいに近かった。
 初めこそ驚き怯えて、身体を縮こまらせていた圭子だったが、落下しないと気付くと、思いきり手足を伸ばして、泳ぎ始める。
 空中を蹴って高飛びし、くるり、と回転する。
 その瞳に、子供のような輝きが過ぎる。
 小鬼は苦笑した。
「楽しいかー」
「うん! 本当に楽しい!! ありがとう、神様!!」
 夜に寝そべり、頬杖をついていた小鬼に、圭子が破顔する。
「お、おう」
 予想外の素直な反応に、度肝を抜かれた彼は、大したことないと肩を竦ませ、顔を背けた。
 何だか気恥ずかしくなってしまったのだ。
 その時だった。
「どうした?」
 小鬼は圭子のもとへ走り飛んだ。
 今の今まで、元気に飛び回っていた圭子が、胸元を押さえて蹲っていたのだ。
「ん? ちょっとはしゃぎ過ぎちゃって……」
「本当にお前、ガキみてぇな女だな。ちょっと落ち着け」
 呆れるように言ってから、小鬼は右手を軽く鳴らした。
 宙に一本の瓶が現れた。
 それは誰の手も患わせずに傾き、液体を吐き出した。
 弧を描き、月の光を照り返すそれを、小鬼は自分の背丈ほどのワイングラスで受け止める。
「わあ、綺麗!」
 星の浮かぶ闇色の液体が、たぷん、と揺れた。
 小鬼は、手を打って喜ぶ圭子に、グラスを押しつけた。
「いちいち感想はいいから。早く飲め」
「これ、なあに?」
「水」
 不思議そうに、圭子は手にしたグラスを覗き込む。
 小鬼は素っ気なく付け足した。
「下の喫茶店から失敬してきた」
「なんだか、化かしたぬきみたいな神様ねぇ」
「化かしたぬきってなんだよ! 失礼千万だろ!?」
 逆毛を立て、小鬼が声を荒げる。
 圭子はきゃらきゃら笑うと、夜空に腰掛け、グラスを傾けた。
 すかさず瓶が傾き、器は液体で満たされる……
 圭子は、ふいに黙り込むと、手の中のグラスを見下ろした。
 水面に揺れる自身の顔を眺める。
 ややあってから、彼女は口を開いた。
「ねぇ、神様。人って死んだらどこ行っちゃうの?」
「さーな」と、まだ臍を曲げている小鬼は、そっぽを向いたまま、投げやりに言った。
「さーな、って神様でしょ? 知ってるんじゃないの?」
「何だよ突然。……どーせ俺様は化かしたぬき並の神様だからな。知らねーよ」
「まだ気にしてるの? 器の小さな男は嫌われるよ?」
 一瞥を投げて、再びそっぽを向いた小鬼に、圭子が呆れ返った声をあげる。
 小鬼はぎりりと奥歯を噛みしめながら、しぶしぶ圭子の方に身体を向けた。
 次は「さすが!」と思わせる答えを返す! と、気合いを入れるかのように、鼻息が荒い。
 けれど。
「じゃあ、さ。どうして死ぬって怖いの?」
「………………か、考えたこともない」
 はあ。と、あからさまな溜息が落ちる。
 小鬼は、下唇を噛むと、肩を縮こまらせた。
「この世界はさ、たくさんの命の上に築かれているわけでしょ。私も、それを辿るってだけなのに」
 誰にともなく、圭子は言った。
 小鬼は顔を上げて、彼女の横顔を見やった。
 圭子は、視線を、グラスから眼下に広がる夜の町に流した。
 まばらに輝く町の光は、蛍火のように、力強さと、儚さを漂わせている……
「あたしを知る人は死んで、あたしは忘れられて、この世界から消えちゃう。完膚なきまでに、あたしと言う存在は消えちゃう。それで良い。それが自然。……なのに、あたしは、それが怖くて。こんな風に、びくびくしてる」
「あん? お前は消えねぇよ。俺様が覚えてんだから」
 当然のことだと、小鬼は鼻を鳴らした。
 圭子が息を飲む。小鬼も、何故彼女が呆けるのか分からず、目を瞬かせた。
 静寂。
 それ破ったのは、圭子の微笑だった。
「なにそれ。ちょっと恰好良い」
 はにかむ彼女の熱が伝染したように、小鬼はみるみるうちに赤くなった。
「ばっ、ばっ、ばっ……あ、当たり前のこと言っただけだろーがっ」
 怒ったようにそう叫ぶと、彼はパチンと再び指を鳴らした。
「そろそろ遊びもお終いだ」と、小鬼の宣言通り、ワイングラスと、瓶がパッと消える。
 続いて、二人の身体は重さを思い出したかのように、下へ下へと下りていった。
 ……やがて元いた墓地にふわり、と綿のように、圭子が着地する。
 その目前に、小鬼も降り立った。
「で。三回目の願いは」
 足が地につくやいなや、彼は催促した。
 圭子は、きちんと両手を下腹部の辺りで重ねると、はっきりと答えた。
「結婚の解消」
「は?」
「離婚してください。神様」
 言って、圭子は頭を深々と下げた。
 小鬼がその言葉の意味を理解するのに、暫しの時間を要した。
「…………お前、お、俺様を、弄んだのか」
 様々な台詞が小鬼の頭を過ぎったが、結局口をついて出たのは、何だか、どうしようもない言葉だった。
 圭子は肩を竦めた。
「弄ばれる方が悪いでしょ」
 小鬼は、後頭部に鈍器を振り下ろされたような衝撃を感じて、くらりと目眩に襲われた。
「って言うか、『願いごと叶えてあげるから』なんて、利用されてポイされるに決まってるでしょう」
 そこまで言われては、もう、ぐうの音も出ない。
 小鬼は、パクパクと唇を無意味に開閉させて、圭子を見た。
 彼女が冗談を言っているようには見えない。
 小鬼は、嘘でないと改めて理解すると、がっくりと項垂れた。
「お前らは、いつだってそうだ」
 ぼそり、と口から恨めしげな声が漏れる。
「俺様はずっと、お前らのこと守ってきた。怪我しねーように、って見守って。米の出来高が下がらないように、って祈って。夫婦に子供授けて、病気とか事故から遠ざけて」
 小鬼は顔を上げた。
 少しだけ、三白眼がうるんでいた。
「なのに! てめぇらは勝手にも俺様のこと忘れて……! 俺様は、こんなに小っさくなっちまった!! 力だって、ほっとんどなくなっちまって……!!」
 できる事と言えば、動物たちの話を聞いたり、小さなものを持ち出したり、浮かばせたりなど、ささやかなことばかり。
「ふざけんな!! 祟ってやる!!」
 袖で目元を拭って、彼は言った。
「理由なき離婚は認めない。無理矢理でも離れるっつーなら一生祟るぞ!? いいのか!?」
 圭子が目をぱちくりさせる。
 小鬼は、唇をきつく噛んで、しゃがみこんだ。
 ……いつからだったのか、はっきりしない。
 気がついたら、彼の身体は小さくなっていた。
 気がついたら、彼の不思議な力は弱まっていた。
 できることが少なくなって――「いらない」、と言われているように、小鬼はいつしか感じるようになっていた。
 いらないから、小さくなったのか。
 小さくなったから、いらないのか。
「使えねー神様は、いらねぇのかよ」
 膝に額を押しつけて、呻く。
 圭子は、慌てて小鬼の側にしゃがみ込むと、首を振った。
「違うの。そうじゃなくて。あたしじゃ役に立たないって言うか……」
「俺様は、お前に何も望んでねぇだろ!?」
「本当はもとに戻りたいんでしょ? だったら、たくさんの人に、あなたの存在を教えてくれるような……そんな、時間のある人を花嫁にしなくちゃ」
「時間とか、意味が分からん! せめて、せめて、振るなら、俺を知ってから振ってくれよ!!――お、おい?」
 突如、圭子はウッと身体を震わせ、口元を両の手で覆った。
「どうした……?」
 ごほ、と重い咳が、薄い唇から溢れ出た。
 小鬼はぎょっと目を剥いた。
 指の間から、赤い液体が滴り落ちたのだ。
「お、お前、血…………っ」
「あたし、時間があんまりないの。来週には、サナトリウムに放り込まれるのよ」
「サナトリウム?」
「もう、二度と帰ってこられない療養所」
「お前、どっか悪かったのか」
 呆気に取られる小鬼の問いには答えず、圭子はスカートの裾で口元を拭うと立ち上がった。
 草を濡らした赤を凝視していた小鬼は、口元を引き攣らせた。
「…………お前、墓で何してた?」
「自分の墓穴を掘っていましたが、なにか?」
 それが本当か冗談かは、小鬼には分からなかった。
 けれど、彼女がそんなことをするような精神状態であり、かつ、胸を病んでいると言う事実は把握できた。
「おかげで最期にとっても楽しませて貰ったわ。ありがとう」
 圭子はちょこんと頭を下げると、小鬼に背を向けた。
 小鬼はグッと拳を作ると、声を張り上げた。
「ちょ、ちょっと待てよ」
 圭子の歩みが止まる。
 小鬼は、彼女の前に走って回り込むと、両足を踏ん張って、彼女を見上げ叫んだ。
「お、お前――――お前、馬鹿だろ!? まずはお前、それを言えよ! あいすくりんとかどうでも良いこと言ってんじゃなくてよ!!」
「いやよ! そんなのズルじゃない!」
「はあ!?」
 圭子の絶叫に、小鬼は顔を顰めた。
「たまたまお願いごと叶えて貰えるらっきぃに、そんな運命的なこと願っちゃ……自力で治そうとしてる人に対して、失礼よ!」
「意味わかんねぇ!」
 小鬼は頭を抱えた。
 願いを叶えて貰えると言うのに、病人が病の治癒を望まないことがあるだろうか?
 しかも、それで治ったらズルだと、圭子は言う。
 小鬼はより一層、人間が分からなくなった。
「ちょっと待て。じゃあ、お前の願いが、すっげぇくだらなかったのも……」
「だって、あなたケチなんだもの。残るものを願ったら、返せって言われるかもしれないじゃない」
 小鬼は絶句した。
 圭子は、ぷっと頬を膨らませると、小鬼から顔を背けた。
「あたしだって花嫁になれるならなってたわよ。だけど、あたしには時間がないんだもの。あなたのこと、もとになんて戻す時間なんて、ないんだもの。あなたは『花嫁を探してた』と言った。あたしである必要性はないじゃない。いいじゃないの。可哀想な子に少しくらい優しくしたと思えば。冥土の土産に、ちょっとくらい良い思い出、ちょうだいよ!!」
「ひ、開き直ってんじゃねぇよ!!」
「…………ごめん、なさい」
 圭子は素直に頭を下げた。
 小鬼は幾度か呼吸を繰り返し、心を落ち着かせると、空咳を落とした。
「確かに探してた。確かに、俺は花嫁を探してて、初めは、お前である必要性はなかった。ああ、確かになかった。だけど……もう、お前じゃなくちゃ嫌なんだよ」
「は……は?」
 ポカンとする圭子に、小鬼は言い募った。
「お前のこと、気に入り始めちまったんだよ」
「ど、どこでそんな風に思っちゃったわけ!?」
「わっかんねぇよ!」
 圭子が目をぱちくりさせる。
 小鬼は、キッと睨め付けるように彼女を見上げた。
「それに、俺様は、お前が死んでようが、生きてようが、どっちでも良い!」
「それだと、あなたは元に戻れないし、小さいままで――――」
「構わねーよ!」
 はっきりと、小鬼は告げた。
 言葉を失って、圭子が黙り込む。
 小鬼は地面に視線を落とした。
 それから何とも言えない沈黙に耐えかねて、彼は問いを口にした。
「お前はどうなんだよ。俺様のこと」
「わ、分かんないわよ。まだ出会って間もないし……」
「嫌いか? 無理か? 俺様を気に入る可能性はないのか?」
 顔を上げた小鬼と、圭子の視線が交錯する。
 圭子は気恥ずかしそうに目線を流すと、ぽつり、と言った。
「…………ぜろ、ではないけれど」
「じゃあ、大丈夫じゃねぇか」
 夜風が二人の間を吹き抜けた。
 草花が、二人を笑うように、さわさわ揺れた。
「で? 三つ目の願いは?」
 小鬼が焦れったそうに、唇を突き出し促す。
「生きていても、死んでいても、構わない、なんて……へんな求婚」
 彼女はフッと噴き出すと、座り込んで小鬼と目線を合わせた。
 それから、優しく彼の手を取った。
「分かったわよ。言うわ。三つ目のお願い。……それは」
 一つ、吐息を落とし、言葉を続ける。
「――――結婚の保留」
「この期に及んで!? お前は、鬼か!!」
 裏返った声で叫ぶ小鬼に、圭子は肩を竦めた。
「仕方ないでしょ。あなたが気に入り始めたあたしを、あたし自身がまだ、ちっとも好きじゃないんだもの」
「だから何だよ!?」
「好きになってみたいのよ。自分のこと」
 圭子の言葉に、小鬼は顎が外れるくらいに口を開けて、呆れ返った。
 さっぱり分からない、と、心の声が、だだ漏れる。
「だって、あなたが好きだとか言うんだもの。だったら、あたしだって、好きになってみたいじゃない。諦めてた人生だけど……一生懸命生きて、好きになってみたいって思っちゃったのよ」
「……余計なこと言っちまったのは、俺か」
 ガクリ、と小鬼は頭を落とした。
 圭子はにこやかに微笑んで、小首を傾げた。
「それからじゃ、遅い?」
 小鬼は、肺の中が空っぽになるほどの、長い長い溜息を吐いた。
 それから、圭子の手に手を重ねると、ニヤリと口元を歪ませた。
「はっ。望むところだ」
 挑発的に彼女の手を引っぱり寄せて、
「棺桶まで迎えに行ってやるよ」
 小鬼は、圭子の手の甲に、唇を落とした。

     * * *
 華やかな時代は走り過ぎ、多くの涙と犠牲を飲み込んで、平和な時は訪れた。
 季節は繰り返され、命の行進は続く。
 圭子がサナトリウムに入所してから、幾度も春は巡り――
 その日は、希望を予感させるかのような、温かな日だった。
 空は、切り取って身に纏いたくなるような青。
 桜や木蓮が花開き、胸を躍らせる甘い風の香が、鼻孔を擽る。
 小鬼は――いな、成人男性ほどの背丈に戻った神様は、真新しい鳥居を潜って神社を後にした。
 軽々と地を蹴り、宙を駆ける。緋色の着流しが翻る。
 紋白蝶や蜜蜂の飛び交う花々や、緑の稲が揺れる田んぼを飛び越え、納骨帰りの一団をひやかしながら、彼は、流れるように移動した。
 ――辿り着いたのは、圭子と出会った、いつぞやの墓地だった。
 一画には、新しい盛土が出来上がっていた。
 まだ墨の香る卒塔婆が立ち、その前には柑橘や、羊羹などの供物が山と盛られ、赤・黄・白……色とりどりの花が飾られていた。
 彼は、右手を差し出すと、くい、と人さし指を動かした。
 盛土が、割れるようにして左右に退き、白々と輝く棺桶の蓋が姿を現す。
「……おい。約束通り迎えに来たぞ」
 しゃがみこむと、彼はおざなりに、拳で蓋を小突いた。
「今度こそ、俺様の望む応えを聞かせてくれよ、圭子」
 問いを口にする。
 暫く、応えを待って耳を澄ます。――――と。
「生々しくない乙女だけど、大丈夫?」
 声と共に、ガタリ、と蓋が持ち上がった。
「問題にもならねぇな」
 彼は微笑を零すと、棺桶の縁を掴んだしわくちゃの手を、そっと愛おしげに包み込んだ。
「で? お姫さん。俺様の花嫁には、なってくれるんだろうな?」

鬼と花嫁 (了)

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