舞々花伝

そして、日常

 数日もせずに、日常は戻って来た。
 たづさんが憑依していた女性の遺体は住職さんが丁寧に埋葬してくれた。
 しいちゃんと魂を入れ替えられた少女は、身寄りがないことが判明して、観世座の下女として雇われることに決まった。黒翁は、元雅くんが継承するまでの間は、帰ってきた元清さんのもとで厳重に保管されることとなった。
 元重さんは相変わらず青蓮院への出仕が絶えないし、元雅くんは、稽古に後援者巡り、夜は舞々と忙しく活動している。しいちゃんはそろそろ床上げできるらしい。
 そして、我が相棒・猿彦も変わりない。
 結局仲直りしたかに見えた元雅くんとは喧嘩が絶えないし、乱暴ですぐに僕をヤスケで殴るし、よく自室でごろごろしている。
 でも、たった一つ、変わったことがある。
 それは――――
「……別に君が表に出てるっていうのは、良い事だと思うよ」
 稽古場への渡り廊下を歩きながら、僕は左隣を歩く相棒を見た。
 猿彦は、ここ最近、怨霊との戦い以外で僕を憑依することがほとんどなくなっていた。座の中にはあからさまに顔を顰める人もいて、嫌がらせも受けたけど、いろいろ吹っ切れて開き直った猿彦が、二・三度やり返すと相手は静かになった。口にはできないけど、陰湿で過激な彼の返礼に、なお嫌がらせをしようと思えるのは元雅くんくらいだろう。
〔文句あんのか?〕
「いえいえ滅相もない。ただ何となく、痛い思いする時ばっかり、僕が表に出てる気がするんだけど?」
 元雅くんに殴られた時とか、切り傷を負った時とか。
〔よく気付いたな! 俺様の素晴らしい配慮に〕
 彼は歩みを止めると、ふん、と胸を張った。僕は恐る恐る問いを口にする。
「どこら辺が素晴らしいのか、聞いていい?」
〔痛いと、生きてるって感じすんだろ〕
「……君はまず、他人の痛みを知れるようになった方がいいね」
 頭痛を感じて僕は、未だに何か言っている猿彦をその場に残し、先を急ぐ。
「…………あ。敦盛さん!」
 と、前方の楽屋の方から、しいちゃんがひょっこり顔を出した。ぱたぱたと小動物のように駆け寄ってくる彼女に、僕は屈んで目線を合わせる。
「しいちゃん! もう、体調は良いの?」
「うん」
 頷いてから、彼女は少しだけ顔を曇らせた。
「…………たづさんのこと、聞いた。しいのこと助けてくれたのに……ありがとうも、言えなかった」
 悔やむ彼女の髪に触れるように手をかざして、僕は笑う。
「君が元気でいるのが『ありがとう』になるよ。そんな顔してると、たづさん、悲しんじゃう。ね?」
「…………敦盛さん」
 しいちゃんが鼻を鳴らして、顔をあげる。そして。
「ありがとう」
 ニコリ。
 そう目を細めて、笑う彼女の、なんと愛らしいことか……!
 その笑顔に、僕の胸はきゅん、と締め付けられて、思わず顔がにやけてしまった。いつも神経質そうに黙り込み、年齢以上に大人らしく振る舞おうとするけなげな姿を知っているから、尚更可愛い。本当に、地蔵菩薩のように可愛いらしい。が。
「敦盛!」
 しいちゃんの微笑みに気を取られていた僕は、庭の方から薄ら寒くなるほどの明るい声で呼ばれて、硬直した。
「――――は、はーい?」
 ぜんまい仕掛けの人形よろしく、ぎぎぎ、と振り返れば、予想通り、神がかった美しい顔に笑顔を張り付かせた元雅くんが立っていた。
「表へ出ろ」
 小首を傾げ、けれど、先ほどとは打って変わってもの凄く低い声で命じる。
「な、何だってそんな、急に……?」
「殴りたい」
 ああ、やっぱり……っ!
 その時、後方でドンッと床を突く音がした。
〔いいぜ? この前の続きと行こうか!〕
 見れば、猿彦が嬉々として、元雅くんの申し出を受けていた。
 どうして僕宛ての申し出を猿彦が勝手に受けるのか。ちょっと理解ができない。
「……ちょうどいいね。二人まとめて、ぼこぼこだ」
「まとめなくて良いよ。やるなら二人で勝手にやってよ」
 僕の抗議は二人には届かない。
「一体、何を騒がしく……」
 その時、盛大にやりあい始めた彼らの騒音に気付いて、しいちゃんが出て来た楽屋の方から元重さんが顔を覗かせた。
「……おやおや。また喧嘩ですか」
「元重さんっ! 止めてください!!」
 聞こえないとは分かっていても、訴えかけられずにはいられない。しいちゃんが僕に便乗して助けを求めてくれる。その彼女の肩に手を置いて、元重さんはふと、感慨深げに弟たちを見やった。
「この家は……少し窮屈な時もありますから。息抜きも必要なんです。あれでいて、二人ともきちんとじゃれ合いで済ませていますし」
 僕としいちゃんは無言で首を振った。
 じゃれ合いで済んでません。
「喧嘩するほど仲が良い、とも言いますし……ああ、だからといって、兄としては弟たちの喧嘩を仲裁しないわけにはいきませんよね」
 それに僕らは勢いよく頷いた。
「それでは」
 元重さんはやりあう弟たちを鋭い眼差しで一瞥すると、す、と一歩踏み出した。
「え――――――?」
 僕は目を瞠った。
 次の瞬間、彼は二人の弟の間に割って入っていた。その右手は猿彦のヤスケの柄を、左手は元雅くんの打ち杖を掴んでいた。
 ……もと大夫候補なだけはある。僕の口から知れず「凄い……」と、嘆息が漏れる。
〔重兄!?〕
 慌ててヤスケを引く猿彦に倣い、元雅くんも舌打ちをして杖を引いた。
「猿彦。まーくん。……君たちがとても仲が良いのは知っています。ですが、やはり、君たちが怪我をするのは見たくはありません」
 慈愛のこめられた声音に、渋々ながら弟たちが大人しくなる。それに元重さんはとても満足そうに顔を綻ばせると、
「ですから、不満があるなら、この兄にぶつけなさい」
 言って、どん、と自身の胸を叩いた。
「さあ! そのたぎる苛立ちを拳に乗せて、この私に…………ッ!!」
 きらきらと目を輝かせて。
 期待に胸を膨らませるような表情で。
「う!」
 ビュンッと元雅くんの杖がしなる。
 ついで、ヤスケの柄が見事に彼の腹を突いた。
「はぐっ!!」
 ……そのまま、元重さんは地に崩れた。
 彼が罪の意識ゆえに痛みを求めてきたのだとしても……ここまでくると、やっぱり性癖なんだろうなぁ。
「も……もっと。構いませんよ、さあ、もっと、気が済むまで…………うぐっ」
 頬を上気させて悶えた元重さんは、低い呻き声をあげるとガクリと力なく意識を手放した。
 縁側から飛び降りざま、しいちゃんがすかさず懐から取り出した扇で兄のうなじを殴りつけたのだ。それが……とどめだった。
「あ! ま、待って、しいちゃん! 置いていかないで!」
 気絶した兄の足を引きずり、廊下によじ登るしいちゃんの後を僕は慌てて追う。
 ……背後から、薄気味悪い笑い声が聞こえたのはその時だった。
「ふ、ふふ」
 僕はおそるおそる元雅くんを振り返った。
 と、その前で仁王立ちしていた猿彦も、ヤスケを振るわせ腹を抱えている。
「も、元雅くん? 猿彦? ど、どうしちゃったの……?」
「仲が良い、だって。初めて言われた」
〔ああ〕
 猿彦が素直に頷く。
 その、二人一緒に笑い合う砕けた様子には、本当に親しみが滲んでいて。
 え? まさか、本当に?
 僕は驚き、目を瞠った。
 元重さんが言った通り、本当に二人は仲が良いから喧嘩(この場合殺し合いだけど)をしてきたとでもいうのだろうか。
 大夫のことなど色々あって、二人は仲違いしたけれど、本は仲の良い兄弟。確かに思い返してみれば、戦いの時には、誰よりも互いを信頼していた。それは喧嘩仲間であり相手の力を認めているからだと思っていたけれど、引っ繰り返してみれば、それほど仲が良い、と思えなくもない。二人とも、不器用で素直じゃないだけなのだ。
 そんな温かな真実に、僕は改めて肩を揺すって笑う二人を眺め、眉尻を下げた。が。
「最低だよ」
〔最低だな〕
 ほのぼのとした雰囲気は殺気立つ紅の空気に取って代られた。目にも止まらぬ速さで、二人揃って神器を相手に突きつけたのだ。
〔あの変態兄貴に前言撤回させるためにも……はっきり言わせてもらうがな〕
 猿彦の背後に本気の怒気が揺れる。
〔俺はてめぇが大っっっっっ嫌いなんだよ!〕
「奇遇だね。僕もだよ。っていうか……」
 顎を持ち上げて、見下すように猿彦へ視線を投げる元雅くんの瞳は凍るように冷たい。
「あんたと仲が良いと思われるくらいなら、死んだ方がましだ」
 元雅くんが腰元から面を取り出し素早くかけた。増女の美しい女性の面差しが、みるみる内に般若の形相へと変貌していく。
 ぴしり、と打ち杖が宙を斬る。
〔じゃぁ、今すぐ彼岸に渡ってこいやぁッ!!〕
 猿彦が吠える。
「し、しいちゃん! ぼ、僕も行くよ……っ」
 僕は身の危険を感じて再び、末妹の背を追った。視界の端で、猿彦が頭上でヤスケを一回転させるのが見えた。と、
〔――――舞え、敦盛っ!!〕
 何故か、僕に下される命令。
「ちょっ――――――!?」
 元雅くんが降霊したなら、猿彦だけの力では相対するのは難しいだろう。でも、だからって、僕が痛い思いをして、兄弟喧嘩に巻き込まれる理由はないのだ。
 唐突に身体を得た僕は、その場に膝を突いた。しいちゃんに助けを求めた僕の指先に空っ風が吹き抜ける……申し訳なさそうに、しいちゃんは僕を振り返ってから、長兄を引きずりさっさと楽屋へと引っ込んでしまった。
(完膚無きまでに奴を泣かせろ!)
 わんわんと脳内に響く声。
 僕はキッと目前の元雅くんを見上げて、ぶるりと身体を震わせた。。
 紅の狩衣が、燃えさかる炎のように威圧的だった。
 で、でも、ここでやらなきゃ僕が殺(や)られる。
 僕は猿面へと手をかけた。右手に熱が集まり、面が笛に変化する。
 戦慄く唇を舌で湿らせる。僕はからからに渇いた喉に生唾を下すと、
「あ……あ敦盛、ま、まい、参り――――」
 ぎゅっと笛を握って、
「――――参りましたッ」
 丁寧に膝をついて頭を下げた。馬鹿の一つ覚えだと言われたって構わない。土下座で済むなら何度だって額をこすり付けよう。
 僕は痛いのが大嫌いです。
(あ……敦盛いいいいいいいいいいい!!)
「いい加減にしてよ! 僕が何度君たちの喧嘩で死にかけた事か――」
 脳内に響く怒号に僕は言い返す。
 びりり、と右手が痺れて神経が途切れる感覚。……これでこの前は左から殴られたんだ。
 僕はふっと口元に笑みを刻んだ。さぁ、くるならこい。怨霊だって学習するんだぞ――――
 左に全神経を集中させ、身構えた僕は、
(もっぺん死んでこいッ!)
「へぶっ!」
 思い切り右頬に拳をねじ込まれて、意識を手放したのだった。

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舞々花伝 (了)