舞々花伝

真実万華鏡

 お寺の備品を壊したことを謝りに行くついでに、住職さんから薬とさらしを貰った元重さんは、手早く猿彦と元雅くんに手当てをした。
 元雅くんの怪我は重いらしく、すぐに薬師に見せる必要があると元重さんは言い張ったが、当の本人は全く聞き入れてはくれない。
「まーくん。とりあえず、今は安静にしていないと」
 治療を終えた元雅くんは、礼もそこそこにしいちゃんの枕元を覗き込んだ。
「…………しいは」
「眠っているだけですよ。ただ身体が魂に合っていないので、この状態が長く続くと……」
 命が、危ない。
 兄が言外に告げたことに、元雅くんは拳を作る。
「身体が合っていないって……舞々だって人でしょう? 何故、人が人の身体に入って、不都合が起こるんですか」
 思い起こされるのは、あの薄ら寒い気配を持った暗い魂だ。
 神というよりは怨霊・死霊に近い……そんな禍々しい気配。あれがしいちゃんの魂だとでもいうのか。思わず問うた僕に、壁に寄り掛り庭を眺めていた猿彦がヤスケだけ僕の方へと向けると、
〔観世座が黒翁――いな、七母天の一、Mrb>波提梨姫(ハダイリキ)を身に宿しても平気になったきっかけは、観阿弥の爺様が長谷寺観音の啓示を受けた事にあるって聞いてる。そん時に、俺らは人とはちょっと違うものになっちまったんだろ〕
 さもつまらなそうに、猿彦は言った。と、突然、元雅くんが立ち上がった。
「まーくん。寝ていなさいと……」
「うるさいよ」
 元重さんが険しい顔でもって忠告するのを一言で退け……元雅くんは手当てのため、着替えをしていた猿彦の脇から僕の面を拾い上げた。それから一言、簡素に命じる。
「敦盛、一緒に来て」
 ちょっと厠へ、というほどの軽さで顎をしゃくる。先ほど僕を消そうとした人物とは思えない図々しさだ。
「ど、何処に行くつもりです? そんな傷で――」
 そんな彼に、強く出られない僕も僕だけど。
「早く、黒翁のところに行かなきゃ」
〔そいつは俺の持ち霊だ。勝手に持ち出すんじゃねー〕
 最もな兄の抗議を彼は完全に無視した。
「行くって……当てはあるんですか。彼女が裂いた空間が、何処へ繋がってるかなんて分からないのに」
〔奴なら境にいる。あの世とこの世の境に〕
 この世もあの世も果てなく広い。その狭間だって然りだ。
「それなら、尚更……」
「僕が分かる。僕を辿って、お前の能力で空間を裂けばいい」
 元雅くんは納得しない僕の言葉を苛立たしげに断ち切ると言った。
「ちょ、ちょっと待ってください。そもそも……辿るって、何を辿るっていうんですか?」
 問いに、彼は珍しく言葉に詰まった。
「…………霊糸だよ」
 しばらく言いづらそうにしてから、口を開く。ぽつり、と落ちたその単語に、僕は顔を引き攣らせた。
 霊糸――簡単に言えば、自身の霊力の一部を付着させ、その対象物の行動を監視するものだ。とりわけ諜報などに使われる。また一方で、その対象物に対する所有権を主張する場合もある。動物に例えるならば、分泌液を利用して縄張りを主張するようなものだ。他の例を挙げるならば――僕は絶対にやらないけど――美味しい饅頭が前にあったとして、それに唾をつけて他の人が食べようとするのを回避するような……とにかく余り褒められる行為ではない。それを人相手にするなど言語道断、祓魔師の常識として、失礼極まりない行為だ。
「そんなもの、しいちゃんにつけてるんですか」
「……しいは可愛いから。誘拐されないとも限らない、から」
 僕の呆れ返った言葉に、元雅くんは顔を背けるとぼそぼそ応えた。確かに、外に出ることの多い彼が、妹を心配する気持ちは分かる。が、霊糸はやりすぎだ。
〔今からお前の評価は馬鹿から変態に格上げだ。変態バカマサ〕
 立ち上がった猿彦は元雅くんの手から僕の面袋を取り上げると言った。
「ちょっと……」
〔俺も行く〕
「さ、猿彦!?」
 非難の視線に、猿彦は肩を竦めた。慌てたのは僕だ。
「居場所が分かったって、事態は変らないんだよ? 元雅くんは重傷だし、君だって怪我してる。しかも僕じゃ黒翁に歯が立たないし……」
「黒翁はしいに憑依して時間が短い。まだ身体に定着しきれていない――力を出し切れないんだ。行くなら今しかない」
 確かに、と元雅くんの言葉に元重さんが唸った。
「憑依の四段階目に進むためには、深い眠りに付かなければなりません。あの時、黒翁は猿彦に呪を止めさせ、退きました。あそこでやりあうという選択肢もあったはずなのに……それはやり合えない原因、身体が定着しきれていないという証拠。そう考えれば……今が好機、ではあります」
「つまり、時間をおいたら不利になる……?」
 三人が同時に頷く。
〔できるな、敦盛〕
「できるかどうかは何とも言えないよ。やったことないし」
〔やるんだよ〕
「バカ言うな。霊糸なんて、飛ばした本人しか見えないんだよ? 僕にどうやって辿れっていうんだ。君に憑依するのとは違って、元雅くんじゃ力を完全に出し切れるとは思えないし、だからって君の身体でやるなら霊糸なんて見えないし」
 個人の霊糸は他人に見分けが付かないほど微妙なもの。だからこそ諜報などに使われ、一方で、動物が自分の縄張りを示すように、こっそり所有権を主張するものであって。
「はい。そこまでですよ、二人とも」
 猿彦と僕が睨みあうのを、元重さんの手を打つ音が止めた。
「えっと、霊糸じゃなくたってもっと太い管が伸びているでしょう? 私は見えませんが。……それともすでに隠されてしまっているんでしょうか?」
 訝しげにした猿彦と元雅くんは、一拍後、はっとしてしいちゃんを見た。
〔命糸か!!〕
 命糸とは、身体と魂を繋ぐ大切な糸だ。……霊糸という強烈な単語に、すっかり失念していた僕らである。
「まだしいちゃんの魂は身体から離れて間もないですから、身体と魂を繋ぐ糸ははっきりと残ってるはずでしょう? ……どうですか、猿彦、まーくん」
 猿彦は膝で滑って、元雅くんはすたすたと妹に歩み寄った。やがて、じっと目を凝らしていた二人は同時に頷く。
〔見えた〕
「………うん。見える」
 僕にもはっきりと見えた。少女の胸元から血のように紅い一本の糸が生え出ている。それはふらふらと空中へ伸びると、ふつり、とその先は消えていた。
 元雅くんがくるり、としいちゃんに背を向けた。
「糸は長時間伸びてるわけじゃない。さっさと行くよ」
「……切れちゃったらどうなるの?」
 不安になって猿彦に問えば、押し黙った彼に代って、元重さんが答えてくれる。
「普通なら死んでしまうでしょう。ですが、今、しいちゃんは別の身体に入っていますから、すぐに彼岸に引かれることはありません。でもさっき言った通り、観世の魂は、普通の身体に収まりきらないものなのです。だから……再び暴走が起こるかもしれませんし、この女の子の身体が保たないかもしれません」
 事態は思った以上に切羽詰まっているようだった。
 僕は痛ましげにしいちゃんを見てから、意を決する。と、その時だった。
「…………み、さま」
 少女の唇が、言葉を象った。
〔しい?〕
 僕と三人の兄たちの意識が一斉に少女へと向く。彼女の戦慄く唇が切実な祈りを吐き出す。
「か、み……さま。に……を、許して。もとに、戻して……お願い、します。みんなを、もとに―――」
 もとに。
 儀式の――猿彦が顔を失う前、元雅くんが人殺しと陰口を叩かれる前……三人の兄たちがまだ仲が良かった頃に。
 初めて聞いた妹の願いに、兄たちは気まずげに顔を顰めた。
「…………それで僕のところから黒式尉の面を持ち出したのか」
 思わず、なのだろう。
 苦々しげに呻いた元雅くんの言葉。
 けれど――それを、不運にも、猿彦は聞き逃さなかった。
〔どういうことだ、バカマサ〕
 まずい。
 今、毒を盛ったのがどうとか話になってしまったら、しいちゃんを救出するどころではなくなってしまう。
「今はそれどころじゃないよ。さっさと、しいちゃんを助けに行かなきゃ――」
〔てめぇ、俺に何隠してんだよ!?〕
 僕の制止も空しく、猿彦が元雅くんに掴みかかる。元雅くんは涼しげな様子で黙っていたけれど、さすがに締め付けるようにして強く揺さぶられて、柳眉を寄せた。ややあってから、小さく息をつく。
「…………僕だよ。儀式の後、黒式尉の面を隠してたのは」
 猿彦の腕が目に見えて震えだした。
 怒りか……それとも、元雅くんを犯人と決めつけてはいたものの、いざ本当に弟に殺されかけたのだと知って衝撃を受けたのか。
「儀式の後、黒翁は逃げた。それを偶然見つけて僕は封じて隠した。……そしてそれを、つい最近、しいが持ち出した」
 元雅くんが毒を塗り、猿彦を殺そうと企てた……そう思い込んだしいちゃんは兄の罪を無かったことにしようと、たづさんに助けを求めて屋敷を抜け出したのだ。猿彦が助けださなければ命も危なかった、最も危険な、けれど決して人目に付かない時間帯に。
〔何だってすぐに知らせなかった。……こんな五年も隠してるなんて、何で――〕
「…………嫌がらせ」
〔だろうとは、思ったぜ〕
 言葉と同時に、彼は元雅くんの右頬を拳で殴りつけた。
〔……毒を塗ったのも、お前なんだな? そうなんだろ〕
 再び胸ぐらを引き寄せて問う。
「ねぇ! 時間がないんだろ? さっさと――」
 止めようにも、触れられない。
 認識されないと分かっていても、元重さんに助けを求めずにはいられなかった。
 ……元重、さん?
 僕は、縋るように彼を振り返り……ぎくりとした。弟たちを見る元重さんの顔は、傍目からも分かるくらいに、真っ青だった。
「違う」
〔まだ、しらばっくれる気か!〕
「僕じゃない」
〔だったらどうして、しいは面を持ち出したりなんかした? こいつは、てめぇがやったことの落とし前つけようとしてたんだろーがっ!〕
「何度言えば分かるの? 僕じゃ、ない」
 そう言った元雅くんは、もうヤスケなんて見ていなかった。
〔てめぇ……〕
 重い、重い沈黙。
 猿彦は肩を怒らせて、弟を見下ろした。
「………猿彦。元雅じゃありませんよ」
 その時、元重さんが二人の間に入った。
〔だったら、一体誰が〕
 元雅くんを掴んだまま、猿彦が兄を振り返る。
「毒を塗ったのは……」
「重兄。あんたは黙ってて」
 元雅くんは猿彦の手から逃れるように身体を捩ると制止の声を上げた。それを無視して、元重さんは口を開く。
「毒を、塗ったのは……………私です」
 ぽつり、と落ちた、諦めたような、力のない声。
 ……僕は耳を疑った。
〔は…………?〕
 猿彦も同じ心境だろう。
 緩んだ猿彦の手を元雅くんは払い落とすと、苛立たしげに乱れた襟を直す。
〔な、何言ってんだ、重兄。あんたが? あんたが、俺に? 馬鹿言うなよ。あんたは俺を儀式の最中に助け出してくれた。それから五年もずっと、支え続けてくれただろ。何、言ってんだよ。冗談でも笑えねー、っての〕
 ヤスケを突き出し、猿彦が詰め寄る。早口でまくし立てながら、彼は元重さんの否定の言葉を待った。けれど、元重さんは黙って猿彦を見つめるだけだ。
〔………マジ、なのか〕
 元重さんへと延ばした腕を、猿彦は下ろす。
〔マジで、あんたが、俺を……殺そうとしたのか〕
「はい」
 ……そこで、僕は初めて黒翁に憑依された少年を一目見た時、感じた違和感の答えを見つけた。何処かで出会っていたかのような彼の顔。当たり前だ。彼は……一度、観世に来ていたのだから。彼はしいちゃんが朝方抜け出した日、猿彦と元雅くんが喧嘩をしている時に、元重さんに会いに来ていた。
〔な、何で………〕
「何故? 本当に分からないんですか?」
 元重さんの表情は変らない。
「妬ましかったからですよ、あなたが」
 猿彦の身体が一瞬、びくりと震えた。
「ずっと、ずっと、ずっと……妬ましかった。いえ、憎かったんです。猿彦、君が、君のことが」
 言って、元重さんは力なく自身の手を見下ろした。
「私が生きて来た、全ては……家のため、黒翁のためでした。それなのに」
 ぎゅ、と拳を作ると猿彦を真っ向から睨め付けた。
 その目付きは、いつものぼんやりとした穏やかな様子からは想像もできない、強く、厳しいものだった。
「勝手ですよね……跡継ぎがいないからと、私を養嗣子にしたくせに。私は最高の舞々になろうと、自己を返上して死に物狂いで技術を学びました。なのに、自分たちに子供が生まれれば、掌返したように私は用無し。それでも私は信じていたんです。父上がくれた『三郎』の名を………なのに」
 〈三郎〉――観世家にとって特別な、次の大夫を約束する通称。
「私の生きてきた人生は何だったんでしょうか。いざ継承の儀式を迎えれば、選ばれたのは――まさかの君ですよ、猿彦。元雅ならまだ納得できたかもしれない。だけど……君は、父上の子かどうかだって分からないじゃないですか。それなのに、何故? 何故、私は父上の子じゃないからと後嗣から外されねばならなかったんです? 力だって……総括的に見れば私の方が上でした。それなのに、何故、君なんです!!」
 猿彦は動けないでいた。
 元重さんは儚い笑みを浮かべて続ける。
「……私は力を失いました。もう、舞々ではありえません。自業自得です。……けれど、そう納得することもできなかった」
 この人は、矛盾してる。
 僕は元重さんの寂しげな微笑みを見つめた。
 ……たづさんに手紙を届けてくれ、と言ったのは元重さんなのに。
 さっきも、黒翁に渡せば良かった黒式尉の面を、彼は猿彦に投げたのに。
 そして……儀式の最中、命をなげうって助けたのは、他でもない彼、なのに。
「……ずっと不思議だったんだよね。どうして、黒翁がたづのところに来たんだろーって。あんたが教えたんだ」
 元雅くんの声音は、まるで全てを知っているかのようで……僕の心の中で、すとん、と蟠りが溶けた。と同時に、彼を疑った自分を酷く恥じる。
「元雅くん……君は、元重さんを庇っていたの?」
「……違うよ」
 そう嘲るように彼は言ったけれど、それが本心でないことは明白だった。彼の思いやりに胸が苦しくなる。
『今が一番いいんだよ』と彼は言った。
 信頼を寄せる元重さんが、裏切ったことを猿彦は知らなかった。
 そして、過去の過ちを悔いる元重さんは、猿彦の側に兄としての居場所を見つけていた。
 猿彦さえ真実を知らなければ、崩れない平穏。
 しいちゃんが元雅くんを庇ったように、元雅くんも元重さんを庇っていた。
 猿彦が元雅くんを疑い憎む。元雅くんは若大夫を継ぐと同時に、兄の罪を飲み込み、影で叩かれる噂をも継いだのだ。それはどこか捨て身の強さだった。彼は決して認めないだろうけれど、それは母の猿彦や元重さんに対する冷たい扱いに対する贖いのようにも思えた。彼は秘密を抱え、ひたすら耐えて来たのだ。
 誤算だったのは、しいちゃんが元雅くんを思って黒式尉の面を持ち出してしまったこと。そして、元重さんが自ら罪を告白してしまったこと。
「まーくんは、知っていたんですね。私が猿彦を殺そうとした事を。見て、いたんですか?」
「儀式の前に……あんたが黒式尉を手にしてたのをたまたまね。まさか、あんな事になるとは思わなかったけど。でも、あんたの気持ち、分からなくもなかったから」
 猿彦に追い詰められ、そして贖いの時を元重さんは生きてきた。その彼の側にいながら、何一つ気付かず、考えもつかず、日々を暮らしていた猿彦。
 真実を知る元雅くんが、自分勝手にも捻くれるだけ捻くれた猿彦を、苛立たしく思うのも無理はない。
「そうですか。ずっと…………本当に、すみませんでした」
 深く頭を下げる兄から目を逸らして、元雅くんは問いを投げる。
「ていうか、何でたづの事、教えたりしたの? あの能力があれば彦兄は顔を取り戻す。それはあんたの望む事じゃないだろ」
 問いに元重さんは、のろのろと首を傾げた。
「……さあ、どうしてでしょう。私にも分かりません」
 それから額を抑えて呻く。
「ほんと、どうしてでしょうね。たづちゃんと会わせたら、猿彦に顔が戻ってしまうかもしれないのに……」
 元重さんは混乱しているようだった。
 彼自身、憎みながら助ける自分を理解できていないのだ。
 猿彦は……狂おしげに頭を抱える兄を見やる。
〔……疑って悪かったな、元雅〕
 そう元雅くんに謝罪してくるりと背を向けた。
「さ、猿彦?」
〔行くぞ〕
「行く? 行くって……」
 まさか、黒翁のもとへ? 
 たった今、自分を殺そうとした犯人を、自分に向けられる殺意を知ったのに?
「猿彦!」
 元重さんの声に、猿彦はぴたりと歩みを止めた。振り返る。元重さんは自嘲の笑みを張り付かせて弟を見た。
「話を聞いたからには、もう彼方へは渡れないでしょう? しいちゃんの命糸が切れたら君たちは戻ってこられない……私は、切らないとは、約束しかねます」
〔だから?〕
「だから……そうですね。選びうる最善の策は……私を殺すこと、でしょうか。私を殺せば故意に命糸が切られることはないし、帰って来られる可能性は上がります」
 猿彦はしばらく兄を見つめてから、ふい、と視線を逸らすとさっさと室を出ていこうとする。元雅くんも何も言わずに、彼に従った。僕は驚愕する。
「ちょっと待ってよ。このまま行く気!? た、確かに元重さんをどうこうするってのは話が飛躍してるし、君が怒り狂って彼に殴りかからなかったのは、大人な対応だとは思うけど……でも解決しない状態で行くなんて、それはそれで問題でしょう!」
〔時間がないってお前も言ってたろ。それに……解決ってなんだ? はっきりと裏切らないとでも言われたら、お前、納得すんのか〕
「そうじゃないよ。だけど……」
 元重さんが混乱するのは猿彦を思うからだろう。でも、だからって、殺すと宣言したも同然の人に背を預けられるわけがない。
「猿彦、君は……」
 ひたり、と猿面に見据えられて、僕は相棒の意思が堅いことを知る。
「…………私にはそんなこと、できないと高をくくっているんですか? それとも試してるんでしょうか」
 元重さんが静かな怒りを滲ませながら尋ねる。猿彦はゆるりと首を振ると、兄を真っ直ぐ見据えた。
〔……重兄。俺は、あんたに感謝してる。それだけだ。真実を知った今でも〕
「感謝? 君を殺そうとした私に?」
〔今まで支え続けてくれた、あんたに、だ〕
 元重さんが息を飲む。
〔俺は、良い兄貴のあんたしか知らない。そんで……それが、俺の中の全部だ〕
 項垂れた元重さんに、今度こそ猿彦は背を向ける。慌てて僕は、元雅くんに向き直った。
「元雅くん! 君、こんな状態で行ってもいいの!?」
「しいが待ってる」
「そんな……だって、しいちゃんを助けられても戻ってこられないかもしれないじゃないか―――痛い!」
 容赦なく頭頂に振り下ろされたヤスケに舌を噛みそうになって、僕は口を閉ざした。
〔ゴチャゴチャうるせぇ。てめぇは俺に憑いてくりゃいーんだよ〕
 ヤスケを袈裟懸けに背負うと、猿彦は顎を反らして不遜な態度で命じた。
〔さっさと舞え、敦盛〕
「……君がそこまで言うなら、分かった。もう、知らない」
 ……僕は大人しく従った。
 そんな不遜とも思える、自信に満ちた言い方を相棒にされたら、信じないわけにはいかないじゃないか。
 身体を得ると猿面を外す。笛に変化したそれをきつく握ると、僕は元重さんを振り返った。
「僕たちは必ず帰ります。だから、しいちゃんをくれぐれもお願いしますね」
 呆然と立ちすくむ元重さんに宣言して、僕は笛を構える。
「敦盛、参ります」

( 七ノ段 了 )