舞々花伝

歩き巫女、たづ(2)

 半刻ほどすると、山門前の人も捌けてくる。
 門のすぐ脇に座り込み、道すがら拾い集めた物を眺めて刻をはかっていた猿彦は、それらを懐にしまうと腰を上げた。
〔行くか〕
「うん」
 僕もその後に続く。
 泣地蔵寺は思った以上に広かった。
 境内の中央には、目の病気を治すとか、雨を止めるだとかで有名な地蔵尊が祀られる本堂があり、その右手に住職さんたちが生活する庫裏、左手には古ぼけた観音堂が建っていた。それらを杉の木がぐるりと囲んでいる。
 その木々の合間から燦々たる陽光が差し込み、吹き込む風は清く涼しい。
 ……静謐な、それでいて心地良い寺院だった。
「今の人が最後かな」
「……巫女さま!」
 と、たづさんの元へ向かった僕らの横を、その時、背に中年の女性を担いだ、猿彦より二、三歳年下の少年が駆け抜けた。
「巫女さま! おっかさんを、おっかさんを………助けてくださいっ」
 彼はそう涙ながらに懇願すると、一息つこうとしていたたづさんにとり縋った。
 あれ……?
 僕はその横顔に見覚えがあるような気がして首を捻った。
 最近、何処かで見たような……記憶の中を必死に探すも思い出せず、なんとなく気持ちの悪いものが胸に蟠る。
「おっかさんの様子がおかしいんです。目を覚まさないんです……巫女様、助けてください。お願いです。お願い、します…………!」
 少年はそう言って力なく項垂れた。たづさんは、彼のお母さんに目をやって、一瞬、顔を険しくしたけれど、
「任せて。絶対に治すわ」
 元気付けるように、弾ける笑顔で少年の肩に手を置いた。
「ほ、本当ですか……!?」
「もちろんよ」
〔ったく……面倒臭ぇ〕
 そのやりとりが気にくわなかったのか、僕の隣で猿彦が悪態をついた。
 ついで彼はずんずん大股で二人に歩み寄ると、無遠慮に間の筵の上へとヤスケを振り下ろす。
「何……? あなた」
 突然の闖入者にぎょっとして振り返ったたづさんが、厳しい目付きを猿彦に向けた。
「ちょっと。これ何? 退けなさいよ。今、急いで――」
 苛立たしげにヤスケを手で払おうとした彼女は、〔待てっつってんだよ〕と浮かび上がった字に眉根を寄せる。
「待てって…………どういうこと? こちとら今、急いでるのよ」
〔お前。治るって本気で言ってんのか〕
 元々きつめの目付きを更に鋭くする彼女を、猿彦は憮然と見下ろした。
 たづさんのこめかみに青筋が浮かぶ。
「…………はあ? 治すわよ」
〔知識不足なら仕方ねえ、か〕
 訝しげにするたづさんに、猿彦は大仰に肩を竦めると、ついで少年の方へとヤスケを突きつけた。
〔おい、お前。お前の母親はこうなっちゃ、もう治らない〕
 何の労りもなく告げられた言葉に、少年の面から見るからに血の気が引く。
「ちょっと! 何を言い出すのよ!?」
〔淡い期待を持たせるなっつってんだよ。こうなっちゃ……万に一つだって助かりゃしねーっつの〕
 少年が字を読めるのに少なからず安堵して、猿彦は淀みなく続けた。
〔いいか。憑依段階には4つある〕
 そう言って、彼は右手の人指し指を立てた。
〔まず初期段階〕
 彼は蕩々と説いた。
 初期では、ちょっと肩がこったな、と訝しむ程度で自覚症状がないこと。
 二段階目に入ると、風邪などをひき、体調を崩して寝込むこと。
 三段階目になると深い眠りにつくこと。この時に、命に関わる病を患うこともあると、忘れずに付け加える。
 そして、第四段階目――――被害者の魂は、憑依した霊と複雑に絡み合って一体化する。
 それにより身体の表面まで別人に変化する……憑依の完成だ。
〔お前の母親は三段階目の終わりに差し掛かってる〕
 最後に彼は断言した。
 すなわち、彼の母親を救う方法はない、すでに手遅れだ、と。
 愕然とする少年に、猿彦は確信を込めて問いを口にした。
〔顔つき、前とは違うだろ?〕
「………………は、い」
〔分かったか? こうなったら治せ――〕
 再びたづさんに視線を戻した猿彦は、忌々しげに吐き捨て――その途中で飛び上がった。
 たづさんに脛を蹴られたのだ。
〔ってぇ! ……何しやがる、こんのクソアマ!!〕
「黙って聞いてれば勝手な事を言ってくれるじゃない。あたしはね、治すって言ってるのよ。サルは黙ってそこで大人しく見てなさい!」
 彼女は足を抱える彼を、きつい眼差しで見下ろすと、今度こそ、筵に横たえられた女性に向かい、手で印を結んだ。
 桜色の唇が呪を唱え始める。
〔ちっ。人の親切を……勝手にしやがれ!〕
 猿彦は忌々しげにヤスケで地を打って、踵を返した。
 しかし気になるのか、一度は帰路を目指した身体を直角に右方へ向けて、観音堂の壁に腕を組んで寄り掛かる。
「……もしかしたら、って事もあるんじゃないの?」
〔無理だ〕
 その隣に並んで僕が問えば、たづさんの所作から目を離さず、猿彦はむげなく頭を振った。
 猿彦が頑ななのにも一理は、ある。
 魂は繊細だ。
 少しでも傷がつけば、身体的に障害が出てしまうし、発狂することだってあるのだ。
〔お前も分かってるように……道は二つしかねぇ〕
 安らかに殺してあげるか。または、そのまま霊に第二の人生を歩ませるか。
〔しっかし――あの女、何考えてやがる?〕
 言い切ったものの、何か引っかかることがあるのだろう、猿彦はこれから行われることを見届けると決めたようだった。
 寺にとどまる僕らを胡散臭そうに見ていたたづさんだったが、邪魔をしないのを知ると、僕らのことは気にしないようにしたようだ。
「安心しなさい。あんな、変なお面付けてる奴の言うことなんて信用しちゃダメよ。あなたのお母さんはあたしが助ける。大丈夫、絶対に除霊はできるから」
 そのまま呪を紡ぎ続けた彼女は、ふと顔を上げるとわざわざ僕らに聞こえる声で、少年に告げた。
 と、その彼女の周りを、螢火の如き儚く小さな光の球がちりちりと舞い始める。
 猿彦がばっと壁から背を起こした。
「な、なに…………?」
 おろおろと僕は辺りを見渡す。
 突然、風が出始めた。
 かと思うと、まだ夕闇からはほど遠い時刻だいうのに辺りが薄暗くなった。
 天を見上げた僕は、ごくりと咽を鳴らす。
 ぼんやりした不安は確信へと変った。
 真っ青だった空に、いつの間にやら黒に近い灰の雲が広がり、渦を巻いていたのだ。
 ゴロリ、と走る稲光。
 寺院を取り囲む木々が大きく左右に揺れて、ざわざわ騒ぐ。
「……行くわよ」
 たづさんはふぅ、と息を吐き出し、胸の前で組んでいた両手を開いた。
 と、その右手には何処から取り出したのか一振りの、指先から肘までほどの、長さの短剣があった。
「あれは…………?」
 現れた剣をよく見ようと、僕は目を眇めて一歩踏み出しす。と、その時。
夬夬(かいかい)!」
 彼女の言葉と共に、紫銀の光が爆発した。
「うわっ……」
 殴るような風。
 ぎりぎりと刀身と刀身をこすり合わせたような、脳髄を痛めつける不協和音。
 思わず耳を覆って座り込んだ僕は、猿彦にヤスケで無遠慮に突かれて、渋々ながら顔を上げた。
 ついで、うっと口元を覆う。
〔……敦盛。見ろ。魂が〕
 たづさんと尻持ちをついた少年の間に横たえられた女性の身体から、白い霞のようなものがずり、ずりと這い出ていた。
 引きずるのは太く赤い糸――身体と魂を繋ぐ『命糸』だ。
 段々と体積を増したそれは、やがて苦悶の表情を浮かべる一人の女性の形になった。
 その身体中の表面には、ぎぃぎぃと恐ろしげな悲鳴をあげるのっぺりとした顔が幾つも張り付いていた。
 ……取り憑く死霊が、魂に深く食い込み、外に引きずり出された苦しさに呻いているのだ。
 僕は吐き気に耐えながら、眉根を寄せた。
 ――――分離させるのは、無理だ。
 猿彦の言う通り、ここまで憑依段階が進んでいては魂と死霊を切り離すことなどできようはずもない。
 切り離せば、身体の主が無事でいられるはずがない。
「不可能じゃない」
 そんな僕らの思考を読み取ったかのように、たづさんは挑発の滲む、凜とした声を上げた。
「……あたしのこの『魂切りの剣』は、融合した魂を分離することができる」
 左手で印を結ぶ。剣を握る右手を水平に動かし、彼女は頭上で翻した。
「どれほど深く絡みあっていようとも……ね!」
 そう声を張り上げると、彼女は間髪入れずに女性の魂に剣を突き立てた。
 ――――ドンッ
 地を轟かせる音と共に、清浄な光が一筋、天へと伸びる。
 かと思うと、浮かび上がる魂の内から幾本もの光が漏れ出た。
 ついで耳障りな声と共にみしみし音が立ち、死霊らが一つ、また一つとむしり取られるようにして離れ、ぼとぼとと地に落ちていく……
「まさか……」
 猿彦も僕も呆気に取られてその光景に見入るしかない。
「除霊、完了」
 スッと魂が女性の身体の中へと戻るのを見届けてから、たづさんは鼻を鳴らした。辺りはいつのまにか、明るさを取り戻している。
 さきほどと寸分違わぬ静謐な空間。
 ……ただし、彼女の足元を除いて。
「うわ、わわわっ……」
 たづさんの足元を見た少年が尻で這って彼女の背後へと回り込んだ。
 地では小さな顔が幾つも、こぽこぽ泡立っていた。
 少年の母親から剥ぎ取られた、死霊らの残骸だ。
 それらは剥き出しの地に僅かに生えた細い草の上をのたうち回り、互いを呼び合うように恨めしげな声を上げていた。
「さあ、これで終わりよ」
 たづさんが手のうちの剣を逆手に持ち返し、とどめを刺そうと構える。
 と、その瞬間、死霊の残骸がもの凄い勢いで、一つの塊を成していった。
「え……?」
 膨れ上がった死霊は、彼女の予想を上回った大きさだったのだろうか。
 たづさんはぽかん、と無防備に敵を見上げた。
「猿彦!」
 僕が言うまでもない。
 猿彦はすでにヤスケを構えると地を蹴っていた。
 少年を背に庇うよう立ったたづさんが、駆け寄る猿彦に気付いて声を張り上げる。
「来ちゃダメよ! 触れたらただじゃ済まない――」
〔誰にもの言ってんだ!〕
 起き上がり、今にもたづさんたちを襲おうとしていた死霊らの黒い塊は、向けられた殺気に気付いて猿彦を振り返った。
 引き延ばされるように、ぶわりと両腕を広げ、闇が迎え撃つ。
〔これが〕
 その懐に、猿彦は怯え一つなく飛び込んだ。
〔俺の仕事なんだよ!〕
 ぐ、と低く腰を沈め、死霊の下から袈裟懸けに斬り上げる。
〔――盛大に散れ!!〕
 振り抜いたヤスケの表面に、声が浮かび……次の瞬間、黒塊は四方に弾け飛んでかき消えた。