舞々花伝

舞々四兄妹(1)

 応永二十三年、京。
 鹿苑寺(金閣寺)を完成させた三代将軍足利義満が身罷ってから、八年の歳月が過ぎていた。
 その後を継いだ義持将軍は父義満の方針を虱潰しに一新しようと躍起になっている。
 それはもう、可哀想なくらいに、自分を冷遇した父親のよすがをぶっ壊しまくっていた。
 その余波はもちろん、義満将軍を最大の後援者としていた猿彦たち申楽師にまで及んだ。
 芸能を生活の糧とし、裏では〈舞々〉として京に跋扈する死霊・怨霊退治に奔走していた彼らは、生きるためにも他国を遊行してまわり、出稼ぎをせざるを得なくなってしまったのだ。
 それなりに力のある陰陽師や僧侶は公家や武家に囲われ、庶民の居住地まで面倒を見る余力はない。
 その上、下々の者を救うべき舞々が洛外へ出てしまえば、自然に京、とりわけ下京の方には怨霊が増える。
 ……ここ最近は日が落ちると、人影はめっきり少なくなった。
 真夜中から朝方にかけて歩き回る酔狂などいない。
 このようなわけで、猿彦が妹を心配し、怒り狂うのも無理のないことだった。
 しいちゃんはまだまだ半人前で、にも関わらず観世の者として力ばかりはあるから、力を求める死霊や怨霊の恰好の餌食なのだ。
 危険な時間帯に館を抜け出すなど、さながら兎が狼の群れに飛び込むようなもの……
〔何で家を抜け出した?〕
 神泉苑を左手に過ぎ、糸商人が軒を連ねる大宮通りを北上して観世の家を目指す途中、猿彦が訊いた。
〔しい。見てんのかよ。 おいっ!!〕
「猿彦。ヤスケがいくら大きいだけの杓文字だってね、そうやってドンドン鳴らしてちゃ物騒だよ」
 苛立たしげに柄で地を叩く相棒を、僕は半眼で睨め付ける。
 心配したからこそ彼が語気荒くなるのは、分かる。
 でも物には言い様があるわけで。
〔てめえは黙ってろ〕
「黙りません。君のは質問っていうより、尋問、むしろ弱い者苛めだ。それじゃぁ言いたいことがあっても言えな――だから振り回すなっての!!」
 間一髪、水平に振り切られたヤスケを身を屈めて僕は避けた。
 頭の上を光熱が走り、髪が数本溶ける。下手に当たればさきほどの死霊同じく、僕もただでは済まないと相棒は考えないのだろうか。
 ……うん、考えないんだろう。
「しい、早く兄ちゃんたちみたいになりたくて。………………ごめんなさい」
 睨み合う僕らに、か細い声でしいちゃんが謝る。
「修行、のつもりだったの……?」
 僕の問いに彼女は頷いた。
 僕は額を押えた。随分手荒な方法だ。
〔この馬鹿が。心配かけんな〕
 でも三人の兄も実践第一で育てられたに違いないから、猿彦はそう淡泊に告げると、それ以上怒ったりはしなかった。
 それから僕らは無言で歩いた。
 時たま、猿彦は道端で立ち止まると、落ちている陶器や木彫りの破片を手にして懐にしまった。
 収集が趣味なのだ。
 また部屋が汚れるなぁ……と、僕はうんざりしたが、今まで猿彦が拾ったガラクタの中に僕自身も含まれているため、口には出さない。
 と、観世の立派な門構えが見えた頃だった。
「元能! 元能、無事ですかっ!!」
 その門前に立っていた二、三の人影の内、女性が声を張り上げて駆け寄ってきた。
「母上」
 猿彦の継母であり、しいちゃんのお実母さん、寿椿さんだ。
 ぴんと真っ直ぐ伸びた背に、切れ長の目、陶器のようなつややかな肌、少々神経質そうに引き締まった唇……そのきつめな美しい姿は、到底、二人の子を産み、五十歳間際の女性には見えない。
「あ、あ……良かった」
 寿椿さんはしゃがみ込むと、しいちゃんの両肩に手をおき、顔を覗き込んだ。
「元能……」
 心配げに頬に手を這わせ、無事を何度も確認する彼女に、しいちゃんは複雑な顔をする。「このような時間にお前がいなくなったと知って、どれだけ母は心配したことか」
 やがて、足を引きずる娘に気付いて彼女は息を飲んだ。
 服をたくし上げ、露わになった脹脛に血を見て取ると眉根を寄せる。
「なんて酷い……」
「…………兄ちゃんが、助けてくれました」
 そこでやっと気付いたかのように、寿椿さんは猿彦へと目を向けた。
 着物の裾をならし、すっと立ち上がる。
 その彼女が何か云うよりも早く、背後に付き従っていた内弟子の男が口を開いた。
「何故、お前は外にいたんだ?」
 忌々しげに問う。
 猿彦はよく声が見えるように、杓文字ヤスケを地に立てた。
〔たまたまだ〕
 事実だった。
 偶然、猿彦は、辺りをうろつく浮遊霊――凶暴化して死霊となる前の霊はみんなこう呼ぶ――からしいちゃんのことを聞いたのだ。
 けれど、見るからに猿彦を疎ましく思っている風の内弟子たちは、なお言い募る。
「貴様が連れだしたんだろう?」
「嫡流の元能様を妬んで」
〔お前ら馬鹿だな。馬鹿だろ〕
「んだと……っ!」
 猿彦のせせら笑うような言葉に、男らが怒りに顔を赤黒く染める。
 そんないきり立つ彼らを、
「およし」
 寿椿さんが手で制した。
「猿彦。感謝します」
 彼女は姿勢を正し、真っ直ぐ猿彦を見つめると、優雅な所作で頭を下げる。
 それにヤスケから身体を起こした猿彦は、柄で地を二回叩くと答えた。
〔心にもない事をぬけぬけとよく言うぜ。身体中が痒くなるっつの〕
「貴様っ! 母御に対しなんと言う……ッ」
「……よい」
 寿椿さんは何の感情も映さない瞳でしばし猿彦を見つめると、くるりと踵を返した。
「私は別段、これの母ではない。行くよ、元能」
 淡泊に言って、しいちゃんを促す。
「…………兄ちゃん」
 その母の腕から逃れると、彼女は猿彦に駆け寄り、その狩衣の裾を掴んだ。
「兄ちゃん、あ、あの……っ」
〔次は見捨てる〕
 猿彦はたった一言そう書き捨てて、その手を叩き落とした。
 忌々しげに足を踏みならし、しいちゃんや寿椿さんたちを追い抜かすと、さっさと屋敷の門をくぐって行ってしまう。
 慌ててその背を追った僕は、しょんぼりと俯くしいちゃんを振り返り……何か声をかけねば、と思うものの、結局何も言えずにその場を後にするしかなかった。