アラベスクに問え!

オン・ユア・マーク

 そして迎えた、入門式。
 国立歌劇場に再び足を踏み入れることのできた受験生は、総勢三〇名だった。――それは、二次試験を通った生徒のうち、半数が落ちた計算になる。
 客席ホールで開式を待つ合格者はそれぞれ、二次試験において自分たちが染めて織った色とりどりのアラベスクをまとっていた。
 国王直属の二人が試験監督として現れたのを始め、はちゃめちゃな制服やら突然の筆記試験やら(そのほとんどはゼロ・ホープの仕業だったが)、戸惑いの連続だった試験も、ついに最後。
 数ある困難を乗り越えた受験生らの横顔には、ぬぐい去れない安堵が滲んでいた。
 ――――が、彼らはこの最後の授与式で、卒倒者続出の史上最大の驚愕を味わうこととなった。
 市長からの祝辞の際、舞台に立ったのは、まさかの国王だったのだ。
 御年二十の年若い王は、黒髪をかき上げると、緑青色の瞳を輝かせてホールを一望した。
 身にまとった紫のマントを翻し、合格者らに手をかざすと口を開く。
「汝、故郷・父の家を離れ、我が許に至れ。
 大いなる職人よ、愛されし者よ、祝福の源よ。
 汝を祝う者を、良き隣人らは祝い、汝を呪う者を、良き隣人らは呪うだろう。
 地上の全ての命が、汝を祝福し、汝によって、祝福される!」
 朗々とした声が、晴れてクラシック階級の染め士、機織りとなった生徒らを祝福する。
 アルバートは、隣に立つヒューズと目配せした後、じっと王を見据えた。拳に力がこもる。
 ――――いずれ、必ず。
 アルバートは強く、心の内で誓う。
 やっと、今、始まりに立ったのだ。


「ふぅ」
 舞台裏に退いた王は、通された来賓室から、側仕えに加えて突然の来訪に真っ青になっておろおろする市長を閉め出すと、天鵞絨張りの椅子にどっかと腰掛けた。
「お疲れ様です、陛下」
「……あー、めっちゃ疲れたー」
 ゼロの労いの言葉に、王はマントと共に威厳と身分をも脱ぎ捨てた。
 大仰に溜息を吐けば、すかさずウィリアムが飲み物を運んでやってくる。
「本日はありがとうございました。愚弟のために、ご足労を……」
「あ、いーいー。それは別にいーの。オレ個人の勝手なわけだし?……でもさ」
 ゼロに百重ほど輪をかけた軽薄な様子でもって彼は答えると、ぐい、と杯を傾けた。
「〈蒼〉がいけませんでしたか」
「そーそー。それそれ!」
 王は指を鳴らしてゼロを指さしてから、肩を竦めた。
「『庶民に蒼は分不相応です、陛下』とかさー。お偉のジジイども、マジう・る・さ・す・ぎー」
「……やはり」
 渋い声真似の後に、王は首元で羽虫を払う手振りをする。
 ウィリアムは重々しく頷いた。
 入門時の試験で作成する『ドア・ザ・アラベスク』には色の指定はない。
 入門と死出の旅路はみな平等だからである。
 と言うのは建前で、事実は、初めから紫などの高貴な色を出せる者は限られているためだ。
 しかし、本来は紋様と同じで、身分によって布の地色に使える色は限られているのである。〈蒼〉は王族の〈紫〉に次ぐ、高貴な色だった。
「まぁ、蒼で染めるとか、ありえませんからねー」
「〈紫〉で染めてきた奴よりましじゃん? えぇっとぉ、かれこれ二十年前? だっけ? いたよね?」
「おや。俺たちと同期ですね」
「そ。その染め士も最年長の十七で? しかも、ペアの機織りは最年少の八歳だってンで伝説っぽくなってんじゃーん。史上最強の凸凹ペア! って。うわ、マジ、チョー恰好良いンですけど」
 ……その時も、随分と身分の高い者たちは浮き足立った。
 加えて、その染め士は身元すら分からない貧しい人間で、都では他人の施しをあてに生きていたと言う専らの噂だったから尚更だ。
 けれど当時の王は彼の技術を認め召し抱えた。
 受験料を下げ、富裕層以外に門戸を開いたのもその染め士である。
 その後、彼は次の王にも気に入られ、現在も染め士の頂点として君臨している……
「――――って、お前のことだよ、ゼロ・ホープ! あっは! ノリ突っ込みとか。マジうけるんですけど」
 王が腹を抱えてゲラゲラ笑う。
 ゼロはしらっと肩を竦めるだけだ。
 と、突然、王は「あ!」と声を上げると、勢いよく椅子から立ち上がり、控えていたウィリアムを振り返った。
「そーだよ、八歳! 八歳のウィリアム・ルイス!!」
 言って、彼の胸ぐらに掴みかかると激しく揺すり始める。
「っつーか、ねぇ!? お前の弟、一五って言ってなかったっけ? 一五ってまだ小さくて、キャーチョー可愛い! ってレベルじゃないの!? ねぇ!? あんな大きいなんて、聞いてないんですけど!? 可愛いっつってたじゃーん!!」
「ヒューズは……数年前から、あれでしたが」
「ルイスの雄どもは十歳辺りでもう、杉のように伸びるんですよ」
 柳眉を寄せて、生真面目に答えるウィリアムの横で、ゼロが忌々しげに小声で付け足す。
「うわはッ! ちょーショック。マジショック!! あーくそ、ルイス家めっちゃ憎い!! 会わせてくれないとか、酷すぎ。激しくにーくーいー!!」
 王は仰け反って悲鳴を上げると、地団駄を踏んで身を捩った。
「ちっちゃいウィルにそっくりっつーから、ちょー楽しみにしてたのにー!」
 それからゼロをキッと睨め付けると、唇を尖らせた。
「ゼロはいいよなー。チビウィル見られていーいーよーなー」
「あはは。存分に羨ましがってください。人は長く生きた分だけ、良いこともあるんです」
 困ったように笑ってゼロが答える。
 王は目をぱちくりさせて黙した。やがて、
「うっわ。マジ、めっちゃ重くね、今の言葉。恰好良すぎ。オレ感動しちゃった。さすがゼロ! さすがオレのシショー!!」
 頬を赤らめてゼロに飛びつく。
 それをひらりと交わして、ゼロは来賓室の扉を引き開けた。
 と、外から「父様ー!!」などと甲高い声を上げて、わらわらと五歳から十歳ほどの子供らが十数人がなだれ込んでくる。
「あっれー? なになに、お前ら今日来ちゃってたの? 見た? 父様の勇姿、見ちゃった?」
 子供らに取り囲まれた王は、デレデレに相好を崩すと目線の高さを合わせてしゃがみこんだ。
「マジ? マジ? 父様、恰好良かった?……だっろー!! お前らの父様だもん、恰好良いに決まってンじゃーん!」
 異口同音のけたたましい答えに、彼はきゃっきゃっと声を弾ませる。
 ……未婚の王に子はいなかったが、彼は街で生活に苦しむ子供を見つけては犬猫のように拾ってきて王宮に住まわせ養育していた。
 彼は困り果てる臣下に「国で一番強い者には国で一番弱い者を保護する義務がある」などと得意顔で言っていたが、単なる子供好きで、加えて重度の世話焼きなのだった。
「あ。オレ、ちょっとコイツらと市街巡ってくるわ」
 ひらりと手を振り、子供らを連れると王は部屋を後にする。
「おい、誰か! 平服を持て! 街を視察に行く。警護もだ。さっさと来い!!……ん? なになに? 何か食べたいの? あっは! オレも甘いの食べたい感じ。ヌガー食べちゃう? え? いっちゃいます?」
 苦笑を噛み潰してその背を見送ったゼロは、つ、と窓に歩み寄った。
 外に視線を投げれば、階下では大勢の合格者に取り囲まれたアルバートとヒューズの姿があった。
「なんだか、懐かしいねぇ」
「そうだな」
 ゼロの隣で、ウィリアムはふっと低く笑うと、呟いた。
「…………これからだぞ、ヒューズ」

     * * *

 織り上げたアラベスクを脱ぎ、配布されたクラシックの証明である腰巻をまとったアルバートは区役所の受付にいた。
 二次試験で作成したドア・ザ・アラベスクを実家に送り届けるのである。
 それは、作り主が死ぬその時まで家族や故郷の然るべき者の手によって、大切に保管されるのが決まりだった。
「手紙とかはないっス。ただ……これを、一緒に」
 言って、アルバートは小さな布袋を手渡した。
 中には、願かけで伸ばしていた三つ編みの髪が入っている。
「くぅ! 終わった! ――っと、と、気をつけねぇと」
 郵送の手続きを終えて区役所を出たアルバートは、慌てて、外套のフードを目深に被ると、きょろきょろ辺りを見渡した。
 授与式からやけに視線を感じてはいたが……それは気のせいなどではなかった。
 式が終わると同時に、アルバートはヒューズと共に他の合格者らに取り囲まれた。
 称賛する声に素直に喜びを感じたが、どこに行くにしても呼び止められ、根掘り葉掘り聞かれ続けるとうんざりしてくる……
 何だってこうもおかしなことに目立ったのか、と困惑していると、ヒューズはあっけらかんとその理由を教えてくれた。
 すなわち、〈蒼〉は臣下した皇族の色なのだ、と。
(普通、そこは止めるだろ!?)
 いくら何色でも構わないと言われていても、それが高貴な人物のまとう色ならば避けるべきだとの常識は、アルバートにはあった。
 が、残念ながら、彼には知識が無く、相棒には知識はあったが常識がなかった。
 ……そんなわけで、無駄に目立ってしまったアルバートは、無用のトラブルに巻き込まれぬよう、人目を避けるようにしているのだった。と、
「あ」
「あ」
 区役所を出たところで、厚手に織られた絹地の黒い外套に身を包んだミシェルと遭遇した。
「あー……ミシェル。おめでとう」
「当り前のことを祝わないでください」
 過去の諸事をとりあえず脇においてアルバートが祝辞を述べれば、間髪入れずに彼は鼻を鳴らした。
「…………お前、ほんっとうに嫌な奴だな」
 げんなりして、「じゃ」とさっさと踵を返せば、唐突に彼はアルバートの腕を掴んだ。
「ま、良いです。許してあげますよ。ライバルですからね」
「は?」
 振り返れば、ミシェルは今まで見たこともない晴々とした笑顔を浮かべていた。
 戸惑ったのはアルバートである。
 ミシェルはぽかんとする彼の手をぎゅっと握ると、目を三日月型に細めて小首を傾げた。
「これから宜しくお願いします、アルバート」
「ちょ、ミシェル……?」
 もとより変わり身の早い人間だとは思っていたが、それにしても、ライバルだとか、宜しくされる理由が思い当たらない。
 訝しげにするアルバートに、ミシェルは気分を害した様子で、器用に片方だけ眉を吊り上げた。
「何です? その顔は。ぼくのライバルになれるんです。少しは喜んだらどうですか」
「いや、だってさ。何つか……俺、庶民だぞ」
 まさか、〈蒼〉に染めたことで、ミシェルまでもがいらぬ誤解をしているのでは、とアルバートは不安になったが……
「はあ? あンた、馬鹿ですか」
 心底呆れ返った、とミシェルは嘆息する。
「合格した、ってことは、精霊が認めたってことです。精霊たちが認めた人を、染め士であるぼくが認めないなんてことはありえない。精霊が認めた染め士に、身分なんて関係ありませんよ」
 言い切って胸を張る彼は、一応、誤解しているわけではなさそうだったが……アルバートは口の端を引き攣らせた。心中複雑である。
「何つーか、こう……胸の辺りがもやもやするのは何でだろうな?」
「アルバートさん!」
 と、背後から呼ばれたのはその時だった。
「ああ、良かった、会えた――――あ、っと、ミシェル、さん」
 駆け寄ってきたヒューズは、アルバートの隣にミシェルを認めると、気まずそうに口を閉ざした。
「ヒュ――――――ッ!!」
 そんなヒューズにミシェルが目を輝かせたから、嫌な予感にアルバートはすかさず飛びかかった。
 口を塞ぎ、辺りを見渡してから、声を落とすよう厳命する。
 ミシェルが渋々ながら了承してやっと、アルバートは手を離した。
「ヒューズ様!」
 ミシェルは胸の前で手を組むと、感激に声を詰まらせ囁き声で言祝いだ。
「この度はおめでとうございました!!」
「え……ええ?! は、はい、そちらこそ――」
 ヒューズが驚きに声を裏返らせる。ミシェルは構わず続けた。
「あなたに糸を織っていただけなかったのは残念ですが、あなたのような高貴な方と同期だと言うだけで天にも昇る気持ちですっ」
 ヒューズの手を握るとぶんぶん振る。
 と、迎えにきた従者の声に、彼は名残惜しげに手を離した。
「また、何処かでお会いした時は、宜しくお願いしますね。それでは」
「え、っと……」
 ミシェルが親しげに手を振り去って行くのにつられて、右手を上げていたヒューズは、戸惑いの声を漏らす。
 その隣でアルバートは唸った。
「何となく、分かったぞ。アイツ」
「え?」
「要するに、だ。アイツん中じゃ、精霊が絶対なんだ。精霊が認めた奴は善で、認めない奴は悪……いや、もう、ゴミクズ以下。そんでお前に『面汚し』って言っても、アラベスクを織れたお前は事実、アイツの憧れのルイス家の男であって、『面汚し』する野郎は存在しない。――とか、そんな感じで、そもそも謝る考えすらない」
「……はあ」
 それは、アルバートに庶民、庶民と言っていたのと同じことに思われた。
 アルバートは、ミシェルと初めて会話した時のことを思い出す。
 精霊の絶対信奉者であるミシェルは、名誉だとか、金だとかのために精霊を望む者を憎むのだろう。
 しかし、こうしてクラシックにめでたく合格してしまえば――精霊に認められてしまえば、彼の中の敵意はさっぱり霧散してしまう。
……バカ貴族改め、精霊バカの称号をアルバートはミシェルに冠した。
「――さてと。そろそろ行くかな」
 アルバートは荷物を肩にかけると、感慨深げに町並みを見渡してから、ヒューズを振り返った。
「お前はこれからどうすんだ?」
 鞄の口を閉じると、ヒューズは顔を上げた。
「僕は、一端、家族に報告のため都に帰ります。アルさんは?」
「俺? 俺は、まずは職探し。ギルドに登録して、ちょこちょこ仕事貰って、次の試験のために勉強する。――目指せ、パァ――ル!! ってな」
「……あなたらしいな」
 きつく握りしめた拳を天へと突き上げれば、ヒューズは穏やかに微笑した。
 と、その時だった。
「ヒューズ様!! 道中、お気をつけて!! ついでにアルバートも」
「ばっ……バカ! あンのバカバカバカバカ!!」
 最後の挨拶だと振り返ったミシェルが、ブンブン両手を振って声を張り上げた。
 ……一気に、辺りが色めき立つ。
「ヒューズ・ルイス様?!」「あっ! いたぞ、あちらだ!」「じゃぁ、隣にいるのは蒼の君!?」「是非、私の糸を織ってくださいッ」「俺様に、てめぇの糸を織らせてくれッ」「アルバート・グレイ! 是非、連絡先を」「ヒューズ様! わたくしの名前は――――」「こら、抜け駆けすンな! ステラです! ボクの名前はトリスタン・ステ」
 押し合いへし合い、押し寄せてくる人波。
…………ヒューズとアルバートは、たじたじと身体を寄せ合った。それから。
「…………とりあえず」
「逃げますか」
 目配せすると、二人は駆け出した。
 街の中央の区役所から放射状に伸びる道の一つを走り抜ける。
「…………アルさん」
「ん?」
 風を切る音に混じって、不意に、隣を走るヒューズの真剣な声が耳を掠めた。
 彼は前を見据えたまま、走る速度は落とさずに続けた。
「僕は、まだ、織る事を好きになれない。機織りと家を分けて考える事ができないからです。でも…………あなたが染めた色を、完成させたいと思った。その気持ちが、僕をここに立たせている」
 言葉を区切ると、ヒューズはアルバートを見た。
「ありがとうございました」
 熱を帯びた声で、彼は言った。
「とても。とても……思い出深い試験でした。一生忘れません」
「ああ。俺もだ」
 アルバートはニヤッと口の端を持ち上げると、鼻をかいた。
「ヒューズ。こっちこそいろいろありがとう。この三ヶ月、イライラもしたけどすっげぇ楽しかった」
 出会ってからの半年が脳裏を駆け抜ける。
 一人では絶対に手に入れられなかった――――『今』がたまらなく眩く感じる。
 ……目前で、道が二手に分かれていた。
 アルバートは進路を決めると、隣を走るヒューズを改めて見た。
「元気でな」
「アルさんもね。都に寄る時は、必ず連絡をください。僕はどんな用事よりも、あなたを優先させます。あなたは、僕にとって何より大切な……一番の友達ですから」
「おう」
 二人は握った拳をコツンと打ち付け合った。
 それから、互いに別の道へと身体を向ける。
 羽根のように身体が軽かった。アルバートは熱い想いに背を押されるように、地を蹴る。
「アルバートさん!」
 声に振り返れば、ヒューズが力強く手を振っていた。
「いずれ、また――――高みで!」
 アルバートも思い切り手を振り返した。
「……ああ! 高みで!!」

     * * *

 王宮の地下墓地で、偉大なる染め士、アルバート・グレイは眠る。
 しかし、その棺の上には死出を導く『ドア・ザ・アラベスク』はない。
 それは、彼の故郷が貧しかったがために、売り払われてしまったのだと長年考えられており、多くの者がヒューズ・ルイスと対であるそれの喪失を惜しんだ。
 けれど、近年、アルバートの故郷、ティルス地方南部で、彼のものと目されるドア・ザ・アラベスクが発見された。
 詳細の知れない棺を包んだそれは、劣悪な環境下において、七世紀も経つと言うのに、毛羽立ち一つなく、美しい蒼のままだった。
 学会の定説では、その墓の主は彼の母と考えられている。
 アルバート・グレイは母親思いであったと伝えられている。
 唯一無二のアラベスクでもって、彼は、自身の死ではなく、母の死出を飾ったのだろう。
 ――――偉人アルバート・グレイの、人間味溢れる一エピソードであった。
(エルンスト・ニール『染め士列伝』巻二、ティルス地方の部)

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アラベスクに問え! (了)