アラベスクに問え!

それぞれのアラベスク(6)

 蒼にする方法を知ったアルバートに残された課題は消臭だけとなった。
 一方で、ヒューズとの関係は悪化の一途を辿った。
 アルバートは今までと変らない態度で接しようと努めたが、ヒューズは相棒の存在を無視するでなく、わざわざ嫌がらせ――と言うよりも、子供じみた拗ね方でもって彼を苛立たせた。
 例えば、アルバートが食事当番の時、彼は食卓から自分の食事を大皿から取り分けると、部屋の片隅まで椅子を引きずっていって、背を向けて食べた。
 また、ヒューズが食事当番の折には……テーブルにレタスが丸ごと置かれたりもした。
「おい、俺の飯は」
「葉っぱでも食べててください」
 言って、彼は自分だけ街で買って来た菓子パンにぱくついたから、アルバートは机を乗り越えヒューズに殴りかかった。
 さすがにそれ以降、レタスだけの食事は二度となかったが、ヒューズの作る食事は最大限の手抜き料理ばかりだった。
 対して、アルバートは野菜に肉にとバランスの取れたものを作り続けた。家での習慣を今更止めることができなかったのである。
 こうして日を追うごとに険悪になっていく二人だったが、アルバートはヒューズと食事を取ることを止めなかったし、ヒューズも食事時には必ず顔を出した。
「『やれ』って、もう言わないんですね」
 無言の食卓に、ぽつん、とヒューズの呟きが落ちたのは、そんな微妙な距離が二週間ほど続いた夜だった。
 相変わらずヒューズは部屋の片隅で、アルバートに背を向けて食事を取っていた。
 肉団子のスープが入っていた皿を膝で挟み、パンを千切り、残ったスープに浸して食べていたが、ふと、食事の手を止めると、ヒューズは引き攣った暗い笑いを零した。
「さすがに、僕に期待するの、止めました?」
 アルバートは無言で立ち上がった。
 ビクッと肩を揺らすヒューズに大げさに溜息を吐くと、後ろから腕を伸ばして野菜だけが残ったスープ皿を取り上げた。それから、さっさと台所へ行くと、問うた。
「肉団子。まだおかわりあるぞ」
 ヒューズがポカンとする。
 アルバートは苛立たしげに、レードルで鍋をカンカン鳴らして答えを催促した。
「食うの。食わねぇの」
 ヒューズはハッとしてから、慌てて顔を逸らすと、唇を突き出した。
「た……食べない」
「食うんだな」
 豪快に肉団子を皿によそったアルバートは、ついでにパンも数欠片添えてヒューズのもとに戻った。
「オラ」
 乱暴に突き出された皿から、ヒューズは暫く顔を背けていたが、アルバートが戻る素振りをすると、がしっとその腕を掴んだ。
 再びアルバートが皿を押しつければ、今度はすんなりと受け取る。
 もちろん、彼はペロリと完食した。
 その日から少しずつ、ヒューズの椅子は食卓に近づいてきた。
(クソ面倒な奴だな)とアルバートはうんざりしたが、犬の餌付けと思って堪えた。
 やっとヒューズは、アルバートの対面に座って食事を取るようになった。
 が、それからも暫くは無言の食卓は続いた。
「…………ねぇ」
「あー?」
 ヒューズが口を開いたのは、二次試験が始まって二月目に入った夕食時だった。
 彼はパンを無意味に皿の上で千切りながら問うた。
「どうしてアルさんは染めるの?」
「好きだから」
 アルバートが即答する。
 ヒューズは顔を上げた。
「好き?」
「ああ。簡単だろ?」
 アルバートは大げさに肩を竦めると、銀食器を置いた。
 椅子の背もたれに体重を預けると、昔に思いを馳せ、ポツポツと語った。
「俺が初めて採色したのは七歳の時だった。父親に教えて貰ってさ。――ああ、前に言ったけど親父は染め士で、まぁ、ずっとクラシックだったけど。んで、そン時は、茜から、赤色採ったんだよ」
 アルバートは昔に思いを馳せた。おっかなびっくりで火を沸かし、茜を煮出し、糸を赤く染めた思い出……
「すっげぇへったくそだったと思う。茜の色を全く生かしきれなくて。赤よりも黄味が強く出ちまってて。しかも、糸はむらだらけ。だけど」
 出来上がった糸は予想していたものと違っていたから、アルバートはとても残念な気持ちになったのだ。
 けれど、父はアルバートの髪をかきまぜると、目を細めて笑った。
「親父さ、褒めてくれたんだよ。『綺麗に染められたな』って。『初めてとは思えない』とか、おだてやがってさ。俺、単純だから。すげぇ嬉しくて」
 父から教えられる、一つ一つのことが楽しかった。
 糸を渇かす魔方陣だとか、精霊の話だとか、色を定着させるのに必要な鉱石の話だとか……ちょっとしたコツだとか。
 聞くたびに、アルバートはわくわくしたのだ。
「それから、気がつけばずっと採色してた。新しい色に出会った時の興奮がたまんなくて、色を生かし切って糸に定着させた時の達成感が気持ち良くて」
 父は、アルバートが十の頃に亡くなった。
 父を失った喪失感はもちろんあったが、アルバートにとって何よりショックだったのは、染め士としての知識をもう二度と教えて貰えないことだった。
 アルバートは、残された機材を前に途方に暮れた。
 まだ使い方も知らないものもたくさんあった。
 けれど彼は自力で染色を始めた。続けることは、とても自然なことだった。
「染色が、何よりも好きなことになってた。だから、俺は染める。そこに、わくわくする色があるから、ってな」
 アルバートは自身に確認するように、言い切った。
 それから静かに聞いていたヒューズに向き直ると、鋭く問いを投げた。
「ンで? お前は?」
「え」
「お前は、何で織るんだ?」
「…………分かりません」
 ヒューズは、力なく頭を振ると、膝の上で組んだ両手に目線を落とし言った。
「いえ、分かってます。何故織るのか。答えは簡単です。――ルイス家の人間だからです」
 しん、と静まり返った室内に、ヒューズの声が落ちた。
 外は随分と冷え込んだのか、ガラス窓には結露し、水滴が線を描く。
「僕はルイス家の嫡男です。だから、織らなきゃならない。織れなきゃならない」
 テノールのか細い声は、そう一気に吐き出すと上ずった。
「本当は、跡継ぎとか全部兄さんに譲りたいんです。確かに兄さんのお母様は正式な妻ではないけれど、そんなの関係なくあの人は凄いから。僕がどれだけ努力しても、たどり着けない人だから。だけど」
 静寂。
 ヒューズは一度言葉を句切ると、目前に座る相棒を窺った。
 アルバートは首を傾げた。
「だけど?」
 先を促され、ヒューズは小さく目を見開いてから、泣き出しそうに顔をくしゃりとさせた。
「だけど……そんな事したら。ルイス家の人間じゃなくなったら、僕には何の価値もなくなってしまう。誰からも見向きされなくなってしまう。ハハ、馬鹿ですよね。今なんて単なる面汚しなのに。機織りの名門にいながら、最も必要なことができないのに。それでも、この身分を失うのが怖いんです。僕には嫡男だって言う価値しかないから。情けなくて、こんな自分が嫌で。辛くて」
「いまいち分からん。お前はどうしたいんだ?」
「へ?」
 ヒューズは眉をハの字にして顔を上げた。
 アルバートは噛んで含ませるように問いを重ねた。
「織りたくないのか? 織るの、嫌いか?」
「織らなくて済むなら、織りたくない。織る事は、嫌いです。大ッ嫌いだ」
 戸惑いの声は、やがてはっきりとした忌ま忌ましさをもって吐き捨てられた。
 アルバートは鼻から息を吐くと、すんなり頷いた。
「じゃぁ答えは簡単だ。織るな」
 ヒューズはポカン、と唇を半開きにした。
 アルバートはテーブルに肘をつけ、ヒューズに右の人さし指を向けた。
「大切なのは、家の前にお前自身だろ。嫡男って価値以外に、お前の価値を見つけたらいい。さっさと家なんて捨てて、やりたい事やれよ」
「で、でも」
「でも何だよ。家の価値以外に自分の価値がない、か? だったら、作れ。全力で作れ。それで作れなーいとか言うのは、それこそ甘えじゃねーの」
 アルバートは黙りこんだヒューズを暫く見つめていたが、やがてテーブルの上の皿をまとめると席を立った。
「…………アルさんは、それで良いんですか」
 俯いたままヒューズが問う。
「あン? そこで何故俺に訊く」
「だって、アラベスクが出来なきゃ、あなたは――――」
「バーカ」
 縋るように顔を上げたヒューズを、アルバートは一蹴した。
「人生、なるようにしかなんねぇよ。っつーか、お前。自分の人生の選択に他人を介在させんな。面倒だぞ。あとな。俺は、俺のやりたい事やるって決めたんだ。だから、他人にやりたくないことは強要しねぇ」
 ヒューズは目をぱちくりさせた。
 アルバートはふん、と鼻を鳴らした。
「お前だって、やりたい事やっていーんだぞ」
「……僕は」
 ヒューズはぼんやりと目線をテーブルに落とした。
 アルバートは軽く嘆息して、今度こそ台所に洗い物を持って引っ込んだ。