アラベスクに問え!

それぞれのアラベスク(2)

 食事や掃除など、生活する上で必要なことは二人で分担した。
 見切り発車で始まった共同生活は、思ったよりも快調な滑り出しだった。
 朝食を二人で取り、それぞれがそれぞれの作業場へ向かう。
 二人に割り振られた部屋は、中庭に面した横に幅広いものだった。寝室に入ってすぐ左手の戸を進めば、染め士用の作業場が広がっており、更にその奥の仕切りカーテンの向こうには、腰機や高機などの機材が置かれた部屋があった。
 アルバートは街に色を探しに、ヒューズはとりあえず〈狂った貴婦人(ルナティックレディ)〉の糸でもってアラベスクを織ろうと試みた。
 三日が飛ぶように過ぎた。
 アルバートはじっくりとアラベスクに使う色を探した。
 受験生の中には、機織りにしわ寄せがいかないよう無茶はせず、確実な色を採り、素早く染めにかかっている者もいた。
 アルバートもそう思わないでは無かったが、早く染めても結局ヒューズが織れないので急ぐ必要もないのだった。
 賑やかな街を歩いて糸屋を巡る。
 店頭に並ぶ、種類の豊富な糸を眺めながら、自分が染めたい色を探した。
 人生の最初と最後を彩る布だ。
 採れる採れないは別として、初めから妥協はしたくない……
「――――うおッ! すげぇ、綺麗な色!!」
 その色に出会ったのは、日も傾いた頃――寮に戻るための心優しい案内人を捜し始めた矢先だった。
「おっさん! おっさん!!」
 所狭しと糸をぶら下げる露店の奥の方に目を止めたアルバートは、店の脇で水煙草を吹かせる店番の中年男性に、興奮に頬を上気させて声をかけた。
「何だい」
「あれ! あの色って、何で染めたのか分かるか!?」
「あン? ……この蒼かい?」
 面倒そうに背後を振り返った露天商は、アルバートの指さす糸を手にすると戻ってきた。
 目が覚めるような、鮮やかな蒼だった。それはヒューズの輝く瞳を連想させた。
 アルバートは一発でこの色にしようと決めた。これならば自分の黒髪や、染め士の黒衣にも合うし、ヒューズにももちろん似合う。
 露天商は眼鏡を動かし、糸をまじまじと見つめると、ああ、と声を漏らした。
「こりゃ、ハッグだよ」
「ハッグ?」
 ――――早速、家に帰ると、アルバートは作業場の机で辞書を開いた。
 夕食のパンを食べつつ、頁を捲っていれば、「ハッグ」は直ぐに見つかった。
「こいつ、〈クサボン〉だ」
 説明文に付された図を目にしたアルバートは、その姿に目を瞬いた。
 木の精霊に似た、ずんぐりむっくりした雪だるまのような身体。
 襤褸(ボロ)をまとい、頭には犬だか牛だかの骨をかぶる姿は何処か剽軽だ。手にはしっかと丸みを帯びた酒瓶を掴んでいる。
 遭遇率Cランク、危険度Dランク、採色難易度Aランク、怪物(モンスター)系中級精霊――通称〈クサボン〉。
「森にいるいる。すっげぇ臭い液、飛ばしてくンだよな」
 アルバートの脳裏に、故郷の思い出が蘇る。
 洗濯物を汚されたと母親が不機嫌になるのを見て、その存在に興味を持った気がする。
 アルバートは苦笑を噛み潰した。
「あいつが、あの蒼を持ってるのか」
 クサボン――もといハッグの持つ液体は、わざわざその臭い液体で悪戯をしようとする村の子供らをも撃退する、鼻がもげそうになるほどの強烈な香りを持っていた。
 もちろんアルバートも例外でなく、それでもって隣家の女の子に嫌がらせをしようとし……余りの臭さに自分が苦しんだ記憶があった。アルバートは、そこでそっと昔に蓋をした。
「この辺りじゃ、どこにいるンだろーな」
 地図を広げて、首を捻る。その時、隣室からグスグスと締め付けるような泣き声が聞こえてきた。ヒューズだ。
 アルバートは、そっと辞書と地図を元あった場所に戻すと寝室に移動し、ベッドに潜り込んだ。
(ウィリアム試験監督は、何だって棄権したがる弟に無理矢理受験させてンだ?)
 アルバートはじっと部屋の天井を見ながら思考を巡らせる。
 恥だ何だと思うならば、受験などさせずにヒューズを閉じ込めれば良いだけだ。そうしないのは、彼が――家族が、ヒューズは受かると信じていると言うことだった。
 ヒューズも律儀だからとはいえ、試験で手を抜いてまで落ちようとはしなかった。
 そこには少なからず、受かりたいと思う気持ちがあるはずだった。
「頑張れよ、ヒューズ」
 掛け布団を引き上げると、アルバートは身体を丸めて目を閉じた。