アラベスクに問え!

テスト×テスト×テスト(2)

 三百人は収容できるほどの広い部屋に、二百人ほどの生徒がいた。
 三人掛けの椅子に、ゆったりと二人ずつ座った受験生は、緊張とは性質の違う、異様な静けさの中にいた。
 ガラリと前方の扉が開いた。
 つかつかと足音高くやってきたその男性は、教壇に手をつくと、活き活きと弾む茶の瞳で全体を見渡した。
「やぁ、輝ける未来を夢見る、受験生諸君」
 凜とした声が、教室に反響した。
 華のある、端正な顔立ちの男だった。
 二重の大きな目は愛嬌があり、少し軽薄そうでもある。
 年の頃はよく分からない。二十代前半くらいの年若い感じもしたが、彼のまとう独特な雰囲気は、もっとずっと年上のようにも思われた。彼の服装がその年齢不詳を助長していた。
 染め士の服装は、上下黒地のシャツにズボン、階級を表わす腰巻と決まっている。
 もちろん彼も、その基本に則っているのだったが、とにかくシャツの上に羽織った上着が派手だった。
 細密で複雑で、更に織り出すのが難しいと言われる曲線的優美な植物の紋様が刺繍されたその赤地の上着を、彼はそつなく着こなしていた。
 加えて、見ている方がハラハラする、じゃらりと丈の長い耳飾りに、首には粒一つ一つが人の目玉ほどに大きな宝石の嵌め込まれた装飾品を幾重にも巻いていた。
 頭には上着に負けない派手な同色系統の幅広のヘアバント。
 茶の髪は癖毛なのか、あちこち外に跳ねていた。
 アルバートは、本の中でしか見たことはなかったが、東方にいると言われる孔雀の求愛行動を見ている気になった。とにかく、派手な男だった。
「堅苦しいのはなしにしよう。みんな、気楽にしてくれたまえ」
 言って、彼は教壇の上にひらりと飛び乗ると、長い足を組んで座った。
 アルバートは、改めて目に入った腰巻に眉根を寄せた。
 階級を表わすその腰巻には間違いなく、五段以上の紋様が刺繍されていたのだ。
 アルバートは目を細めて数えた。
 一、二、三、四、五……これですでに、第五階級(ブロンズ)以上だ……六、七……第四階級(シルバー)……八、九……
(――――――十!? 第三階級(ゴールド)保持者!?)
 数え間違いなどでは無い。彼の腰巻にはきっかり十段の紋様――――彼は間違いなく、第三階級、現在認められている最上階級の保持者だった。
 そんな染め士はこの国に一人しかいない。
 彼は――――
「さて、初めまして。俺は染め士コースの試験監督、ゼロ・ホープだ」
 その名に、教室がわっと湧いた。
「そうそう。みんなの予想通り、俺は、陛下直属の染め士。この半年、相方のウィリアム・ルイスの付き合いで、面倒で凄い不本意だけど、こーんな辺鄙な田舎で試験監督をすることになりました。よろしく。――あ、サインはテストが終わってからにしてね」
 ティルス地域圏の大都市とは言え、地方受験に染め士・機織りのトップ二人が試験監督でやってくるなど誰が予想していただろう。
 初めての受験であるアルバートには勝手は分からなかったが、周りの興奮を見るだに、異例のことだと知れた。
 ざわざわし始めた受験生らを注意するでもなく、ニコニコ微笑んで辺りを見渡すゼロを、改めて見て、アルバートはゴクリと咽を鳴らした。
 目標であり、憧れであり、いずれ追いつく――いな、追い越したい男。
 その人物を前に、奮い立つ思いだった。
 彼こそが、今現在、全ての染め士の頂点に君臨する男なのだ。
 ふつふつと闘争意欲が沸き起こる。身の程知らずだと思わないでもないが、「夢は大きく」の言葉のもと、アルバートはさっさとゼロを好敵手認定した。
 手に汗が滲んだ。胸が高鳴る。アルバートはギュッと膝に置いた手に力を入れ――その熱い気持ちは、残念な形でふいに削がれた。
「ん? 何だか、不機嫌そうな顔をしている子がいるねぇ。どうしたんだい? そこの子猫ちゃん」
 ゼロが小首を傾げて、こちらを向いた。
 子猫ちゃん呼ばわりされたアルバートは口元を引き攣らせた。
「…………何で、俺らはこんな恰好をしなくちゃならないんですか」
「こんな恰好? って、メイドの事? 黒地の衣装って言ったら西方のメイドじゃない? それともシスターの方が良かった?」
 怒りを押し殺して問えば、ゼロがきょとんとした。
「ンな話をしてンじゃねぇよ! いや、じゃなくて……その、どうして、まともな染め士の衣装じゃないんスか、ってことで」
 ここは戦地で、周りは敵。
 一人受かれば、一人落ちる戦闘領域ではないか。
 そんな中で、こんな――女中の恰好をさせられるとは怒りを通り越して、いな、怒りしか感じない。
 ゼロは指先で頬をかくと、ふむ、と低く唸った。
「それでは問題です。どうして君たちは女装をしなければならなかったのでしょうか」
「――――は?」
「一。俺は男が嫌いである。俺以外……いや、俺とウィルと陛下以外は全員死ねば良いと思ってる。だから、君たちは君たち自身の命を守るために女装せざるを得ない。二。俺は人に嫌がらせをするのが大好きである。本当は全裸受験を企画していたが、寒いからダメとウィルに怒られたので涙ながらに断念した。はい、どっちだと思う? 当たってたら加点してあげるよ」
「は…………はあ?」
 口をパクパクさせるアルバートに、ゼロは変らぬ微笑みで催促した。
「さ、さ。どっち?」
「な、なに……意味が」
 どちらの答えも無茶苦茶だ。
 どっちが正解でも、ろくな人間ではない。
 ……ろくでもない人間が染め士のトップだとも思えない。これは彼なりの優しさ――受験生の緊張を解すためのパフォーマンスなのだろうか。
 アルバートは首を捻った。お節介で、やりすぎな感じは否めなくもないが。
「ブッブー。時間切れ」
 ゼロは大げさに唇を尖らせて肩を竦めると、それから、穏やかな表情で教室を見渡した。
「答えは両方でした。間違ったら減点とかじゃなくて良かったねー、君」
 教室の至るところで、クスクスと小さな笑いが起こったが、アルバートは笑えなかった。
 ゼロの言葉が緊張を解すためでなく、本気だと察したからである。
「それじゃ、早速テストの説明するよ」
 彼は足を組み替えると、右手の人さし指と中指を立てた。
「今回のアラベスク国家試験は、一次試験と二次試験からなります。一次では、筆記と実践、二次では実際に機織りの子とペアを組んで貰って、アラベスクを作成して貰います」
(筆記!?)
 続いた言葉に、場は騒然とした。
 今までの受験で、筆記があったことなど無かったのだ。
 ゼロは声を立てて笑い出した。
「あは! みんな良い顔つきになったね。平常心保とうとして大失敗した感じ」
 それから、彼は唇を歪めると言った。
「時たま、染められれば良いじゃん、ってガッチガチに職人気質な子がいるけど、機織りも染め士も論理必要だからね。筋肉バカじゃやってけないの。って事で、今回から、って言うか、昨日。正に昨晩、俺の一存で筆記試験を導入しましたー」
 ゼロがパチンと指を鳴らすと、部屋の後ろの扉からぞろぞろと染め士たちが入ってきた。
 一列に並んだ彼らは、その八割が女性で、二割が女装した男だった。
「みんな座席後ろのスタッフに注目! 彼らが夜なべしてテスト問題を作成してくれました! 拍手拍手」
 生真面目な表情で起立する男性スタッフの存在が、先ほどのゼロの言葉をネタではないことを物語っていた。教室中は凍り付いた。
 アルバートは、スタッフなど振り返っている余裕はなかった。
 筆記があるなど聞いていなかった。しかも、それが自分の調査不足ならいざ知らず、昨晩決められたなど、納得できるはずがない。
「要するに筆記試験はカルト・ハダシュト限定ね。あ、限定ってつくと、なんか、お得な感じするよね。じゃ、テスト用紙配っちゃって」
 呆然とする受験生にはお構いなく、ゼロは背後のスタッフに命じた。
「ちょっ、待……待ってください、ゼロ試験監督!」
「はいはい?」
 手を上げて立ち上がったアルバートは、背筋を伸ばしてゼロに対峙した。
 受験地によって、合否の判断材料が変るなど――しかも、それがゼロの超個人的な気分で試験内容が大幅に、しかも何の前触れもなく変わるなど冗談では済まない。
 例え国王の近侍だろうとも、新たな門出に挑む受験生を不当に扱うことなど許されないはず。これは国の認可の元に行われる、国家試験なのだ。
「他の受験地とテスト内容が違うって、フェアじゃないっすよね」
「フェアな訳ないじゃん」
「なっ……」
 間髪入れずに返ってきた淡泊な言葉。
 その余りに簡素な答えに、アルバートは二の句を告げずに目を瞠った。
 それは周りの生徒も同じだった。
 ゼロは目をぱちくりさせてアルバートを見てから、小首を傾げた。
「同じだけ努力すれば、同じ結果を得られるのかな? 異なる生まれは、その後の人生に影響を与えない?――いいや。そんな事、ありえない」
 一瞬、明るい茶の瞳が底知れぬ闇に翳った。
 アルバートはゴクリと生唾を飲み込んだ。
 他の生徒らも何かを感じ取ったのだろう、教室は不気味なほどに静まり返った。
 ゼロは続けた。
「この世の何処にもフェアな事なんてないのに、君はどうして試験だけフェアであると信じていたの?」
 その声音も内容も、明るく晴々としていたが……有無を言わせないものがあった。
 ややあってから、アルバートは無言で着席した。
「それで、テスト時間は――――」
 何事も無かったかのように、ゼロが試験の説明を始める。
 アルバートはぎゅっと膝の上で握りしめた拳に目を落とした。
 頬に熱が集まった。全身の血潮が脈打った。
 アルバートは自分の甘さを痛感して、余りの恥ずかしさに項垂れた。