アラベスクに問え!

自称天才染め士、アルバート・グレイの出立(4)

「……ちゃんといるわね、アルバート」
 居間の扉を蹴り開けたアルバートは、女性らしい言葉遣いのだみ声と、ギロリと厳しい眼差しに出迎えられた。
 どっかと椅子に腰掛けていた、叔母――母にとっては姉……いな、生物学上は雄であるため、母にとっては兄であり、アルバートにとっては〈叔父〉なのだが――は、組んでいた逞しい腕をほどくと、目前のテーブルをコツコツと指先で叩いた。
 座れ、の合図だ。
 アルバートは言われるまでもなく、テーブルを挟んだ向側の椅子に腰を下ろすと、背もたれに背を預け、ふんぞり返って叔父を見た。
 気を抜けば怯みそうになる自身を叱咤し、美しくアイラインが縁取る三白眼を睨め付ける。
 化粧の下にうっすらと浮く青髭。頑固そうに引き結ばれた唇に走る真っ赤なルージュ。
 極めつけに、鍛え抜かれた筋骨隆々の身体にまとうのは、村娘が着る可憐なワンピースだ。
 叔父は、生活に必要な最低限のものしかない質素な部屋で、強烈な存在感を放っていた。
「…………で。何? 用事って」
 アルバートが煩わしそうに問う。
 アルバートの母親は二人に茶を用意すると、少し離れたところに立ち、不安げに姉と息子を見守った。
「……アルバート。あなた、まだ、糸を染めているの?」と、叔父は、茶器に手を添えると暫く押し黙っていたが、やがて重々しく口を開いた。
「はあ? ンなの、俺の勝手だろーが」
「やっぱり。まだ、諦められられないのね」
 叔父がほとほと呆れ返った様子で嘆息する。
 アルバートが鼻を鳴らしてそっぽを向けば、彼は思い切り顔を顰めた。
「受けるつもり? アラベスクの試験を」
 アルバートは無言だった。
 その態度に、叔父は苛立ちを抑えるように、唇から震える吐息を吐き出した。
「確かに、アラベスクに携わる職は、精霊と国家に認められる名誉ある仕事。お金と地位を約束されるわ。だけど」
 アルバートは腕を組む。
 右の耳穴から左へと、叔父の濁った声が通り抜けていく。
「だけど、それも、上の階級を得られた者だけ。運良く国家資格を取得して、染め士や機織りになれたとしても、クラッシック階級のまま、お金も名誉もなく一生を過ごす者は多いわ。――――あなたはそれを知っているはず」
 それは、言外にアルバートの父親を意識させる言い方だった。
 胸にドキリと鈍い痛みが走る。アルバートの顔に渋面が浮かんだ。
「あなたが夢見る、煌びやかな者たちは氷山の一角でしかないの。村を出て、一生、くたくたになるまで力を尽くしたとして、何人の人がクラシックよりも上の位を手に入れられると思っているの?」
 アラベスク作成には、莫大な時間的拘束が強いられる。別の仕事をするにしてもアラベスクに従事する間は長期的に休まねばならないため、雇用主から倦厭される。もちろん稼ぎの良い職業にはつけないし、階級が低ければ労働で得られる賃金も低い。
 そのため、染め士も機織りも、もとより生活に苦労のない裕福な商人の倅か貴族の者が多かった。
 近年、受験費用が下がったとは言え、お金を払ってまで、生活の保障すらない博打的な職に就こうとする庶民はなかなかいない。しかも、染色の知識も技術もその多くは累々と家の中で継承されるものである。
 ……染め士や機織りの家系でない者は、その点で圧倒的に不利なのは周知の事実だった。
「俺は陛下の近侍になる。第一級称号の位も取って」
 ハッキリと、アルバートは宣言した。
 それは誰が聞いても、大それた――いな、言葉通り〈夢物語〉だ。
 染め士、機織りには六つの階級がある。
 最も下位のクラシック、第五級のブロンズ、第四級のシルバー、第三級のゴールド、第二級のプラチナ……そして、第一級のパール。
 めでたく国家資格を取得してクラシックになった染め士や機織りは、十二の試験に挑み、そこで得た合格の個数によって、階級が割り振られるのである。
 しかし、現在の王の近侍である染め士、機織りの二人も第三級でしかない。ここ数百年で第二級を取得した者は十人にも満たず、第一級など、子供に語り聞かせる寝物語ほどに不確かな存在だった。
「分からない子ね。なれるはずがないじゃない!」
 叔父の、茶器に添えた手に青筋が浮かぶ。
「私はあなたを心配して言っているの。どうして理解しようとしないの? あなた、もう十七でしょう? 人生まで迷子をやっててどうするのよ!」
 ふつふつと声は熱を持ち始めていた。
「確かに、誰だって若い頃は、何かとんでもない事を成し遂げたいと夢見るものよ。だけど、そんなの青臭い幻想なの!!」
「いちいちうっせぇーよ。青臭い幻想? 結構じゃねぇか!」
「ア……ルバートッ!!」
 負けじと言い返したアルバートに、叔父が椅子を蹴って立ち上がる。
「姉さん、落ち着いて」
 アルバートの母が慌てて制止の声を上げた。
 が、その手を叩き落とすと、叔父は、今度は彼女に向かって声を荒げた。
「お黙り! あなたが甘やかすから、こんな事になっているんでしょーがッ!!」
「母さんは関係ないだろ!」
 思わず腰を浮かせれば、叔父はアルバートに人指し指を突きつけ、唾を飛ばして怒鳴った。
「あなたの行動が、この娘の――母親の評価に繋がっているンだって自覚なさい! このお馬鹿ッ!!」
「てめぇが言うな! このド変態がッ!!」
「親不孝よりましよ!」
「自分のことは棚上げかよ!? ってーか、ましとかましじゃねぇとか、そういう問題じゃねぇだろーが!!」
「いいえ。それ〈が〉、問題なのよ!!」
 有無を言わせぬ、叩きつぶすような声が振り下ろされる。
「あなた、母親を一人残していく事を何とも思わないの!?」
 次いで鼓膜を震わせた言葉に、アルバートは一瞬息を引き攣らせた。
 唇に乗せようとした言葉が霧散し、カッと全身に熱と震えが走る。
 叔父に腕を掴まれ、母が前に押しだされた。
 アルバートは歯を食いしばると、床に目を落とした。
 母を見る事ができない。
「この娘はあなたの父親が死んでから、ずっとあなたを女手一つで育ててきた」
「ンなこた、分かってるッ!!」
 アルバートは爪が手の平に食い込むほど強く、拳を握りしめた。きつく、目を閉じる。
 そんなことは、誰よりも分かっている――叔父になど言われずとも、誰よりも、身に染みて理解している。
「……ええ。そうでしょう。あなただって分かってるでしょうよ。だからこそ、あなたはこの娘の今までの頑張りに答えるために、尚更――他の子よりも立派に育たなきゃならないの」
 叔父は少しだけ声音を柔らかくすると、噛んで含めるように言った。
「安定した職について、今まで世話になった分、この娘に恩返しをしなくちゃ。それが、息子って言うものよ。今以上に心配をかけてどうするの。必要なのは高い地位なんかじゃない。安心させてあげるのが一番の親孝行なの。息子のあなたが支えなくちゃならないのよ」
 言って、叔父はじっと甥に目を据えて答えを待った。
 アルバートは目線をあげずに鼻に皺を寄せた。
 沈黙が落ちる。
「聞いているの、アルバート?」
 叔父が苛立たしげに、咳払いをする。
 アルバートは幾度か舌で唇を湿らせてから、やっとの思いで声を絞り出した。
「聞いてる。――――だけど、その意見には頷けない」
「それは、あなたを必死で育てあげたこの娘を裏切るってこと?」
 叔父の指摘に、アルバートは胸が締め付けられるのを感じた。
 母一人、子一人の家庭。
 アルバートは、どれだけ母親が自分のために苦労をしてきたのか、理解しているつもりだ。
 彼も彼なりに母を支えてきた――一緒に生きてきたのだ。
 脳裏に父を失ってからの七年が過ぎる。
 それは大変な苦労の日々だったけれど、愛に満ちあふれた日々だった。
 アルバートはきつく握った拳を、足に押しつけ、声を振り絞った。
「…………ああ。今は、裏切る」
 顔を上げ、叔父を真っ直ぐ見つめる。
「母親とか関係ねぇ。俺は俺だ!」
 アルバートの宣言に、叔父の唇が戦慄いた。
「感謝はしてる。世話になった分、恩返しだってしたいと思ってる。だが、それは今じゃねぇ。染め士になって、陛下に仕えて、めっちゃくちゃ有名になって、それからだ!」
 言葉は堰を切ったように溢れ出る。
 アルバートは一歩前に足を踏み出すと、ドンッと自身の胸を叩いた。
「俺は天才なんだよ! 染め士になるべくして生まれた男なんだ!!」
「いい加減、現実を見なさいアルバート! あなたよりも凄い染め士はこの世に五万といる。あなたの力じゃクラシックの地位でもがき続ける者の、足元にも及ばないとどうして分からないの!」
「何でンな事、てめぇが分かるんだよ!? 染め士を目指したこともねぇくせに――――」
「あなたの父親がそうだったからよ!」
 言葉に、アルバートは目を見開いた。
「あなたの父親は天才だった。この地方では天才とうたわれた染め士だった」
 叔父は忌ま忌ましげに目を閉じた。
「十二歳と言う幼い年で、あなたの父親は村を飛び出したわ。そして試験には見事に合格した。でも、どうだった? あいつは、病気で死ぬ四六歳まで、結局クラシックのままだった。ブロンズにすら上がれなかった。夢に破れて村に戻ってきたあいつが、どんな風に扱われたかは息子のあなたが一番分かっているでしょう?」
「……親父は俺じゃない」
 否定を口にしながら、アルバートは必死に、脳裏に過ぎった父の面影から目を逸らした。
 時々見せる、何かに思いを馳せる横顔がたまらなく惨めだった。情けなかった。
――嫌だった。
「俺は、親父とは違う」
「同じよ。ふわふわと夢を追っかけて、現実を把握できない、愚図よ」
「てめぇッ!!」
 瞬間、カッと全身を走り抜けた怒りに、アルバートは気付けば机を乗り越え、叔父に飛びかかっていた。胸ぐらを力任せに掴みあげる。
「アルバート!!」
 母が悲鳴を上げる。
「撤回しやがれ。このクソジジィ!」
「ジジィじゃない。ババァだ、ゴルァッ!」
 怒号と共に、左頬に容赦なく拳がねじ込まれた。
 アルバートの小柄な身体は、軽々吹っ飛んで戸棚に激突した。
 棚が吐き出した食器が盛大な音を立てて割れる。
「――――――ってぇッ」
 尻持ちをついたまま、アルバートは袖で口元を拭った。項垂れる。
 口中に広がる鉄の味が、酷く惨めだった。
「……親父とあんたは義理でも兄弟だろ。何でンな事が言えンだよ」
「義理でも兄弟だからよ」
 叔父はゆっくりと鼻から怒りを逃がすと答えた。
 アルバートは目線を落としたまま、必死に何かに堪えていた。
 悔しさと怒りと、情けなさと、苛立ちのない交ぜになった複雑な思いが胸の内で荒れ狂う。
 叔父は、そんなアルバートの様子に目を眇めると、言葉を続けた。
「今年で終わりなのよ、アルバート。今年さえ我慢すれば、もう惑わされる事はない。あなたまで父親と同じ苦労をする必要はないの」
「…………だからだよ。だから――――今年で終わっちまうからっ」
 ややあってから、食いしばった歯の隙間から、漏れ出たかすれた声……アルバートはくしゃりと顔を歪ませると、叔父を見上げた。
「オジキの言う通りだよ。俺が今まで試験を受けなかったのは、母さんを一人で残すなんて考えられなかったからだ。今だって苦労させたいなんて思ってねぇよ。だけど、今年で最後なんだ。最後なんだ!」
 染め士、機織りの受験には年齢制限がある。
 その上限は、十七。
 それを越えれば、何をしたってアラベスクに触れることはできない。
 染め士の頂点を、夢みる事すらできなくなる。
「これ逃したら、俺は死ぬほど後悔する。今までの比じゃなく、後悔するんだ! だから――――母さん!」
 アルバートは叔父と自分のやりとりにおろおろする母親に目を向けた。
 母は、一瞬、息を飲んで――――けれど、しっかりアルバートの視線を受け止めた。
「母さん」
 改めて見た母は、細かった。
 水仕事で荒れた手、化粧を忘れた肌は農作業で日に焼け、榛色の髪には白髪が混ざっている。
 アルバートの胸は軋んだ。
 思い出せる過去の中、彼女が一度として母親でなかったことはなかった。
 彼女はいつでも、優しく厳しく、息子のために生きてくれていた。父親がいないことを、寂しいと思うことが滅多になかったのは、彼女がその喪失感すら気付かせないほど、アルバートを見てくれていたからだ。
 時々ヒステリックで、理不尽さに苛立つこともあったが、全部含めて、アルバートは母を愛していた。その想いは決して嘘ではない。
 ――だけど、いつからだろう?
 愛おしくて、大切にしたくて、なのに、重くて、切なくて。
 母を振り切りたい暗鬱な思いが顔を覗かせるようになったのは。
 母の横顔に翳る老い。
 それを認める度に、苛立つ自分。
 引き裂かれるような気持ちに苦しくなった。自分の想いと、母を想う気持ちが一つに重ならない事に気付いてしまった。
 染め士になれば、村には帰れない。階級が上ならばいざ知らず、叔父の言うようにクラシックの染め士は大勢おり、その中で仕事を貰うには、田舎にいるわけにはいかない。
 ……そもそも、染め士になったら村に帰るつもりなどなかった。第一級称号を取る――夢を叶える、それまでは。
「母さん!」
 アルバートは、母を呼んだ。今まで、ずっと避け続けてきた願いが、今の今まで口にする勇気すらなかった希望が、はっきりと形を成してアルバートを急き立てる。
 悲しませると分かっていたから蓋をしてきた。
 叔父に言われずとも、馬鹿げた夢だと分かっているから話せなかった。
 けれど、もう、隠してはいられなかった。
「俺は染め士になりたい!! だから」
 アルバートは勢いよく頭を下げると、声を絞り出した。
「だから、俺のために苦労してくれ!」
 しん、と張り詰めた沈黙が降りた。
 母が息を飲んだ気配がした。
 しかし、答えを聞く前に、
「……ダメよ、アルバート」
 口を開いたのは叔父だった。
 アルバートは苛立たしげに叔父を睨め付けて――「げ」と頬の筋肉を引き攣らせた。
「アルバート。あなたが何と言おうと絶対に行かせはしない」
 いつの間に用意したのか、叔父の手の中で、太いロープがビィンと撓った。
「っざけんなッ!」
 間髪入れず、アルバートは踵を返した。
 が、叔父の方が一瞬動きが早い。
「ひぃッ!!」
 腕を掴まれたと思ったら、あっと言う間に引きずり倒された。絞め技をかけられ、のしかかられれば、もう抜け出せない!
「は、離せ! はーなーせーッ!!」
「ダ・メ。お仕置きよ、アルバート」
 叔父は馴れた手つきで甥を縛り上げる。
「くそぉッ!! このド変態!! 離せ離せ離せぇ――――ッ!!」
 無茶苦茶に暴れ狂うも、アルバートと比べようもないほどがたいの良い叔父はびくともしなかった。
 だけでなく、もがけばもがくほど、縄が肌に食い込む始末だ。
「暫く頭を冷やしなさい」
「ひいいいッ」
 ぷん、と白粉の香りが鼻をつき、アルバートは震え上がった。
 触れるほど近くに叔父の顔がある。
「近い近い近い近い! 顔が近い!!」
 全身全霊をかけて顔を背け、少しでも距離を取ろうとするアルバートの顎を、ごつごつとした指が捉える。
 ぐりっと音を立てて、その顔の向きを変えると、叔父は先ほどとは打って変わって真剣な眼差しでアルバートの瞳を覗き込んだ。
「一人の人生がダメになると知っていて、行かせるなんてできないの。それもこれも、あなたのお母さんと、あなた自身を……大切に思うからなのよ」
 言葉に、アルバートの表情からスッと色がなくなった。
 彼は一度、目を閉じて呼吸を整えると、やがて、無言で叔父の目を見返した。
 それは、正しく憎しみの眼差しだった。
 ……叔父の頬に、少し寂しげな微笑みが滲んだ。